Windows 7 Service Pack 1の不要ファイル削除
dism /online /Cleanup-Image /spsuperseded
Vista(と7?)でCTRLやSHIFTなどのシフト状態が画面上に表示される
コントロールパネルから、「ペンと入力デバイス」~(「ハードウェアとサウンド」~)「ポインタオプション」で「ペンボタンを押す」のチェックを外す。
まさかM7.3が前兆だったなんて...それもわずか二日後に。
異様な縦揺れがあり、これが東北沖だとしたら震源近くは大変なことになると思いながら、勤務先で机の下に隠れていました。
もう一歩で蛍光灯が落下する勢いの揺れで、建物に少し損傷がありました。建築士などに検査してもらう必要がありそうです。
同僚の車で何とか帰宅できました。県道栗橋線でも信号が止まっている箇所がありました。蓮田周辺で道路の陥没が一カ所ありました。自宅のすぐ近くで、野良猫が唸りながら全力ダッシュですっ飛んでいきました。
妻は都心勤めのため動けず。自宅は少しだけものが落ちましたが、幸い特に壊れたものはなし。
国内過去最大のM8.8、昨年のチリ地震と同規模です。世界歴代でも上位のはずです。海外の報道ではM8.9と言っているようです。
しかも震源の深さが10km。場所によって10m以上の津波があったとも言います。仙台などが飲まれました。
私が生まれてから国内のM8級は1994年北海道東方沖M8.2、2003年十勝沖M8.0の2回のみ。過去最大は明治時代の三陸地震M8.5でした。
津波による遠距離での被害は、1960年チリ地震を筆頭に周知です。しかし直接の揺れだけで被害を及ぼせる範囲がこれほど広いなど、想像していませんでした。
勤務先が震度5強、自宅でも5弱。5強であれということは、家屋が倒壊するレベルとはどんなものなのか。
昨年10月に経験した起震車の「兵庫県南部地震」(直下型M7.3)よりも怖かったです。機械が作る揺れは瞬発力がないとか、そうした違いでしょう。
避難中に強い予震が来るやら、生まれてこの方、最も恐ろしい経験でした。
福島の原発で一次冷却水が止まってしまったようですね。無事に制御し終えられることを祈ります。
勤務先の仕様書の一つに、Word 2003で開いたときだけレイアウトが崩れるものがあります。文書そのものはWord 2000で作られたようで、そう古くはありません。
互換性設定を当たったところ「文書をレイアウトするときにプリンタの設定に従う」をONにすると2003でも大丈夫だとわかりました。
この設定はOFFにしないとレイアウトが崩れるとして知られているようですが、逆パターンになります。ちなみに2007だとOFF(デフォルト)のまま問題なし。
テンプレートで表として外枠が設定された、いかにも一太郎が得意そうな日本的な書式のものですが、その外枠の外側に文字が全て追いやられるという、とんでもない崩れ方をします。
2003がWindows XP上、2007がVista上という違いはありますが、デフォルトのOFFはプリンタに従わ「ない」わけですから、違いは純粋にアプリの内部処理でしょう。
OpenOfficeだと一行の幅が全く違うために崩れますが、とりあえず普通に内側にはあるので見た目が酷いだけで済んでおり、2003よりマシという妙なことになりました。
2000から見れば2007より2003の方が近しいものだと思っていたのですが、そうでもないようです。
所帯を持ったということで、遅まきながら本気で家計の見直し。中でも通信費。
現在、アナログのテレホーダイ時代から契約しているネットラピュタをフレッツ光で、ひかり電話付きで契約しており、合計毎月¥7610かかっています(ナンバーディスプレイ等を含めた数字)。
ネットラピュタに愛着がないこともないですが、運営母体も変わりました。メールアドレスも最近ほぼフリーメールに移行しましたし、ブログ以外のウェブも自宅サーバーに移行しました。
プロバイダのウェブやメールはもう必要なく、インターネットに繋がってさえいれば良い状態にしてあるので、グローバルIPだけ振ってもらえれば充分なのです。
ところが、ソフトバンクモバイルのユーザーならホワイトBBがまず候補に入りますが、この番号ではADSLを入れられないとの話になりました。
116に問い合わせたところ、「ひかり電話専用番号帯」なるものがあり、たとえフレッツADSLであろうと番号が変わらざるを得ないそうな。従来の電話番号をひかり電話にすることはできますが、新規は特殊な市内局番になり、ひかり電話以外に変更不能。
携帯電話もキャリア間で番号を維持できるこの時代に...。一方通行が存在するなど考えもしませんでした。法制度的な問題なのかNTTの囲い込みなのか、いずれにせよ「騙された」感があるのは確かです。
嫌悪を覚えたので脱出を決意。番号が変わる前提で以下の選択肢となりました。
1. Qit+UCOM光電話 ¥3890
2. au光+auひかり電話 ¥4837
3. ホワイトBB ¥3680 2Mbps以下?
筆頭候補はUCOM直営Qit。ナンバーディスプレイを入れても¥4300。工事まで1週間、ただし固定電話の切り替えがその後2週間かかり、その間不通になるとのこと。どうせ滅多にかかりませんから構いません。
au光で安いのはBIGLOBE、So-net、Niftyあたりですが、特に付加サービスも必要ないので、あまり考えていません。
光収容がない地域なのでADSLはいつでも可能ですが、¥1980を謳うホワイトBBも電話回線と合わせると¥3680になってしまいます。しかも局から3.5km/46dBはリスクが高いでしょう。2.5km/32dBの実家で5Mbps以上出ていたので、悪い印象はありませんが。
まずはQitに突撃してみますが、果たしてUCOMの回線品質やいかに。今回の教訓としては、引っ越した先でNTTを使いたければ、最初はフレッツADSLで契約する、ということでしょうか。
世の中には黙認されている悪習があります。誰もが認識していますが、損得勘定で「仕方ないか」で済ますのです。
例えばいわゆるヤクザです。中にもいろいろ人種があるにせよ、縁日に屋台を見て撲滅しようと思う人は多くないでしょう。
さて大相撲。八百長の話は何十年と囁かれ続けています。どこからともなく「あの力士は八百長だ、あの力士は真面目だ」と噂されてきました。
あの江戸時代から続いているのですから、色々あるでしょう。しかしそれら全てを含めての大相撲でも、私は構わないと考えています。
手品師は「種も仕掛けもありません」と言います。実際はあるけれど「わからないでしょ?」「見破ってごらんなさい」というわけです。この言い回しにケチを付けるのは無粋にも程があります。
楽しければそれでいいとも思うのです。寺尾の突っ張り、小錦の豪快な勝ち負け、水戸泉の塩まき、ファンの心理として勝敗は二の次だったりしないでしょうか。
七勝七敗の千秋楽を高確率で勝ち越すのも、プロレスラーがカウント3直前から大逆転するようなものだと思えば、大した問題ではないかもしれません。
もちろんその場合、プロレスのような単なる興行団体として、公益法人からは外れなければなりません。施設も買い取らなければならないでしょう。
江戸時代ではない現代の政府の庇護を受ける資格があるのか否か。暗部を否定するのか肯定するのか。一度真剣に議論した方が良いのではないでしょうか。
「新型」でなくなるためには、次の新型が出なければならないのが世の常です。工業製品のように新型登場の周期が短ければ、次の新型が期待される頃には「新型」とは呼びませんが、この新型インフルエンザがいつまで「新型」なのか、少し興味があるところ。
歴史を紐解くと、有名どころのAソ連が1977年。A香港が1968年なので、30年ほど通称が付くインフルエンザが出ていないことになります。でもいくら何でも10年以上も「新型」とは呼ばないでしょう。
「新型」はA型に属するらしいので(A/H1N1亜型)、最終的には最初に確認された場所からAメキシコと呼ばれるのでしょうか。地名を付けると観光業的に好ましくないでしょうから、別の名前になるのでしょうか。
そのA/H1N1亜型インフルエンザは、感染すると検出しにくいというニュースがありました。喉ではなく肺の中で繁殖するため、検体を採取しにくいとのこと。特に厄介なのが、在来型との同時感染の場合、喉からの検体でそちらが陽性となるため、肺の方を見逃してしまうとか。
検出しにくい上に流行がかなり拡がっているため、疑わしければ治療薬を積極的に投与せよ、と呼びかけ始めているということでした。新型を誘発する抗生物質治療を控える、という段階は既に過ぎてしまったわけですね。
予防接種のおかげか、今のところ私は感染していませんが、職場でも出始めています。昨年より明らかに多い印象なので、気をつけなければなりません。
「たったひとつの冴えたやりかた」という言い回しを時々目にしていました。至近では「よくわかる現代魔法」だったでしょうか。妙に存在感のある表現を複数の人が使っている時、そこには大抵元ネタがあるのです。
極限状態の選択を描く「方程式もの」という作品群があるそうな。極限状態なら何しても許されるんと違うかな、と他人事視点で見る限りは単にあざとい設定でしかないので、どれだけ感情移入するか(させるか)で評価が大きく変わるでしょう。それでなのかどうか、代名詞になったトム・ゴドウィン「冷たい方程式」も本作と同じく、少女が標的となっていたようです。
本作は、初めて宇宙に出た夢いっぱいの少女コーティーが、救済不能の状況に陥ってしまい、その中で一番マシな方法として死を選択するという、まことに救いのねぇ話となっています。表題そのものの汎用性もあるでしょうが、女の子らしさが存分に表現されているのと、友達になった宇宙生物シロベーンもろともに死ぬ結末によって、語り継がれているのでしょう。
文庫には三編収録されていますが、少し長めの「衝突」も印象的でした。公式のファーストコンタクト以前に、ならず者による不幸な接触があったとしたら、誤解を解くのに大変な努力が必要でしょう。地球上でも繰り返されていることです。
この作品では思念の領域という変わったものが設定されています。これに従って考えると、人間が自分を人間だと普通に認識できているのは、人間が集まることで発せられる思念が我々を覆っているためである、となります。その領域に異邦人が踏み入ると、「こういう姿でこう振る舞わねばならない」というプレッシャーを感じるとか。
海外を旅行すると、言葉だけでなく自分の服装、肌や髪の色、といったものに当然ながら違いを感じるわけですが、それをもっと強調した概念でしょうか。宇宙船の乗組員がそれを感じ、思念との仮説を立てた時、「人間も実は同じことをしているんじゃないか」と反応するのですが、「できる」でなく「している」なのが興味深いところ。
作風や特にSFガジェットに古くささがありますが、「衝突」は万人にお勧めできるのではないかと思います。
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