1/18に大腸内視鏡検査を受けました。三日前からの食事制限、当日はもちろん朝食抜きのところに、2リットルもの下剤(ニフレック)を時間をかけて飲むという拷問のような事前準備が必要で...。さらに直前の痛み止め注射で息も絶え絶えに。
検査後にパンを食べたら貧血で地べたに突っ伏した、とか少し混乱があったりしました。痛み止めが抜けるまで院内にいなさい、という時間内のことでしたので、内科待合まで車椅子で連れて行かれて、もうしばらく待機して帰宅。
1/25に検査の最後の結果が告げられまして、問題なし、根掘り葉掘りで見つからないのだから、CEAが高いのは体質だろう、ということになりました。
ポリープは胆のうと大腸にそれぞれ小さいものがあり、胆のうは放置、大腸は良性。胆のうで癌ができることは滅多にないようで。経過観察で、4月に次の血液検査。
それで一件落着になれば良かったのですが、検査と関係あるのかないのか、数日後からお腹の具合が優れず、回復したと思えばお尻を拭くと水のような付着物。
これが落ち着いたと思ったら喉荒れが始まり、風邪に突入。私の場合、自覚症状が出た時には手遅れなので、翌日休むであろう前提で月末の作業を先にやって早退し内科を受診。1/30でした。体温37度。
翌日は朝から37度半ばだったものの食欲はまだあり、解熱剤を含む処方薬もあるので自宅安静でしのぐつもりでした。体温の割に体中が痛むのは気になっていましたが。
ところが10時頃から急に体温が上がりだしました。寒気はないどころか暑く、吐き気はないのに何かわからないがとにかく辛い。
知らないパターンの症状だったことと、主観的判断として意識が飛ぶ可能性が憂慮されたことから、救急車を呼びました。吐瀉物を喉に詰まらせると怖いのですよ。
妻が早退するやら妻の母も来るやら大騒ぎになりましたが、インフルエンザは陰性、他に怪しいところもなく、帰宅。38度2分。フラフラで食欲ゼロ。
週末はひたすら安静。試験前の妻には本当に悪いことをしましたが、本日月曜は出勤できて、怠いけれど後は時間の問題...。
とならず、朝食を最後に味覚がかなり弱くなっていることに気付いたのが夕食時でした。咀嚼中の味が全くわからない。鼻水鼻づまりは解消済みでしたし、そもそも朝食は味わえていたのです。
一体全体どうしたことか...。
17時18分、震度4というとやはりかなり揺れますが、怖いなー程度で済んでしまうという...。
東北地方太平洋沖地震から637日、M7.3というとその2日前の前震と同規模ですね。場所は今回の方が日本から遠く、しかし深さは10kmで同じ。
さて前震の時は12分後のM6.3が最大余震でした。今回は13分後のM6.2が最大になりそうですが、2日後とか考えたくありませんね!
前震と同規模ながら津波が違いまして、前震では大船渡の0.6mが最大でしたが、今回の方が遠いのに石巻で1mに達したと報道されています。
被災地の1mは洒落にならない気がしますが、16時過ぎが干潮でした。東北新幹線がしばらく止まり、仙台空港が滑走路を閉鎖しましたが、他は影響なかったようです。
あの地震が前震だったらどうしようかー、なんて笑っていましたが、2年近く経ってもこれだけの余震が来るものなのですね。
勤務先の健康診断で今年から入れた腫瘍マーカーで要精密検査(CEA 7.0)。肝臓の値も少し基準値超え(AST 32/ALT 33)。
で、病院でとりあえず一通りの血液検査をしたところ、再び腫瘍マーカーが結構高め(CEA 9.4)、腎臓の値も機能低下気味(eGFT 83)、肝炎の値が少し高め(総ビルビリン2.0)。
...俺死ぬの?
酒もタバコもやらないし、薬も全く飲んでないし、運動不足もあり得ないというか、中性脂肪値は前回低い方に外れたぐらいなのに(29、今回34)。まあCEAは本当にヤバいと2桁後半とか3桁とか行くようですが。
でも実際、慌ててしまいますね。病院に行くのは1年ちょっと間隔がありましたから、初診扱いで問診票を記入したのですが、一番下に告知の項目があるのです。
今までは何とも思いませんでしたが、今でさえ結構な不安を感じているのに、これで本当に何か大きな病気が見つかったとなったら、相当なショックだろうなと想像してしまいました。
というわけで、あれこれ検査の予定が入りました。肝臓・腎臓については1995~2007年にかけての薬漬け生活の影響だけだと思いたいですが、CEAが不気味です。胃潰瘍あたりか、ひょっとして腺がんか。
近所の食堂で昼食を取ったのですが、待っている間に、小さな子どもを連れた一家が入ってきました。
歩けるようになってそれほど間もないような子だったのですが、店の女将さんが「早いねえ」と嬉しそうに迎えていました。
きっと常連さんなのでしょう。こうして周りのたくさんの大人に見守られて、子どもは成長していくものなのだなあ、としみじみ感じたのでした。
私が小学2年の時、父が単身赴任となったのですが、その時に母は箝口令を敷きました。父の不在を誰にも口にしてはならない、というのでした。
なるほど確かに泥棒対策として必要なことでしょうが、私の精神の育成に多大な影響を及ぼしてしまったと認識しています。
その時から周りの全ての人間が敵になりました。元々親子の情愛に疑問を抱かざるを得ないような家庭でしたから、文字通り全ての人間が敵になったのでした。
むしろいじめっ子であった私がいじめられっ子に転落したのも、この頃からです。いじめられる方に原因があるというのは、家庭に原因があるという意味で同意できます。
# いじめる方もいじめる方で家庭にも問題があるわけですが
周りを少しでも信じることができたなら、私が持っている世界はもっと暖かなものだったろう、と口惜しく思うのでした。
先日、自転車走行可の歩道(車道の右側)を走っていると、男性に注意されました。
車道側ぎりぎりをゆっくり走っているにも関わらず、わざわざ寄ってきて注意してきたのです。
帰宅後に改めて確認しましたが、やはり歩道の中に関しては方向が限定されておらず、この男性の注意は根拠無しの行き過ぎ、オレオレルールに過ぎないとわかりました。
もちろん、マナーとして車道の左側歩道を走った方が好ましいことは理解しますが、ちゃんと安全に配慮しているのに文句を付けてくるのは賛同できかねます。
そのうち自転車を押していても文句を言われそうです。