ホワイトの三たびの延期により、今度こそ予定通りだとしても、手に入る頃には来年モデルが視野に入る時期になってしまいました。
ということで、観念して820Pから機種変更しました。
コミュニケーションツールというものを軽視していましたですよ。
WX310Kから820Pにした段階で、車生活のため携帯でネットを使う機会もなく、かつ話し相手もメール相手も皆無となれば、最低限のものになるのは当然のことでしたが、電車になりまた家庭を持つと、低性能が足を引っ張るようになりました。
それでもWX310Kより速かったのですが、携帯打ちに慣れるに従い、お段や「っ」など、打鍵回数が多い文字の入力ミスが多発していました。ボタンを押してから表示が更新されるまでのタイムラグに惑わされ、1回余計に押してしまうのです。
ネット表示も操作に応答できるまでが遅く、携帯電話をおっくうに感じるようになっていました。腕時計の違和感さえ慣れられず懐中時計にしているような野生児なので、面倒なものは縁が遠くなり、820Pはカバンに放り込んだまま連絡が遅くなることも度々。
パソコンに親しみすぎていたことも原因の一つでしょう。こんな私がかつて、初代W-ZERO3を呆れるほど中毒的に身に付けることができたのも、ひとえにPC文化に属するデバイスだったからだと思います。
であれば、スマートフォンの一台持ちなら万事解決するだろうと踏んでいました。iPhoneへの機種変更は決定事項でしたが、ホワイトが手に入らないのでは、待つだけ無駄というものでしょう。
電話帳の移行、最低限の設定、特に日本語テンキーと絵文字の追加。とりあえず電話とメールは使えるようになりました。祝日付きのカレンダーとか、必要なものは週末にでも入れていくとしましょう。
820Pの総括としては、Bluetoothは良好、振動は弱め、UIは何カ所か疑問点があるもののシンプル、性能が低いので素早い操作は不可、文字が大きめで見やすい、というところでした。変換を押した直後に一つめの候補がハイライトされないので、つい矢印ボタンで二つめを確定してしまいがちでしたが、それ以外は完成度が高い端末だったと思います。
人生は単調に過ごすには長いのですね。楽しさを発見する努力をし続けるのも、必要なことだと結婚してから学びました。そのためも含めてiPhone生活が始まります。
スターウォーズ計画が現実味を帯びていた時代の作品です。衛星軌道上に配置された核ミサイル網のある世界で、最終戦争に向かう情勢の中、兵器への転用が可能な画期的発見をした科学者を通して、科学と社会・政治の関わり方を描きます。
統一場を説明できそうな理論を主人公クリフォードが発見するところから物語は始まります。相棒オーブは現実的で、好きなことをさせてくれれば何でもよく、約束した見返りは適度に返す余裕もある人ですが、クリフォードは潔癖症で口出しされるのが大嫌い。先人であるツィンメルマンは、政府と適度に付き合えと助言するのですが、兵器転用を要求する過度な介入に業を煮やしたクリフォードは、ついに戦争を終わらせるための協力を申し出るのでした...。
統一場理論は物理学の4つの力を一つの法則で説明するもので、今も君臨する難問となっています。作中では高次元から説明する架空の理論が設定されています(超ひも理論も高次元でしたね)。我々の三次元空間では粒子の生成・消滅と見える、既存の制約を受けない高次元空間(K空間)でのエネルギー伝播というものです。
三次元で「時間」と呼ぶ座標軸をも超える伝播のため、どんな遠くでも検出さえできれば今の姿を見ることができます。SF≒宇宙(最後のフロンティア)ですが、本作クリフォードもここから宇宙に関心を進めようとします。遠くを観測できるだけでなく、エネルギー量の説明という点で、宇宙モデルすら覆してしまう超理論を見つけたのですから当然です。
しかしスポンサーでもある政府は軍事転用を要求し続けました。物語中の国際情勢のためでもありますが、仮にそれがなくとも多少圧力が弱くなるだけで、次の戦争のために、次の次の戦争のために要求したことでしょう。そして検出器はレーダーに、放射器は破壊砲「J爆弾」に。
理論から予想されるエネルギー量と、実測値の差に悩んでみたり、本作も科学的視点のあるべき姿を描いています。素粒子物理学で特に特徴的な話題ですが、理論が先行する学者と、実験が先行する学者の違いにも触れられています。他にも応用物理学者を自認する人が、新発見をできる人間がいかに貴重かを語ったり、色々な科学者が登場します。
ブラックホールに関してホーキング放射も出てきます。古典物理学的には光さえも出られないはずのブラックホールから、量子力学的には熱放射があるとする理論で、発表は1974年。この作品は1978年発表ですから新しめの話です。一般向け図書「ホーキング宇宙を語る」がベストセラーになった80年代半ばよりもずっと前。SF作家は最新の科学に敏感です。
さてテーマこそそっちですが、それでもブレインストーミングの様子は本領発揮で、眩しいぐらいのやり取りが繰り広げられています。熱くてたまりません。最後に我慢できなかったのか、モレリやオーブが取り組もうとしていたアイデアが現実になった、ずっと未来のエピローグへ一気に飛びます。なんと舞台はシリウス星系への移民船。たった数ページに夢が詰まりすぎです。
「J爆弾」発動の前日に、クリフォードと大統領シャーマンとのやり取りがあります。西側の兵器も消し去られるだろうとは、読者はもちろん作中のシャーマンも感付いたのでしょうが、そのどんでん返しは圧巻でした。さらにエピローグでそれがハッタリだったかもしれないとひっくり返されるのが、またいっそう痛快です。
ことによると「星を継ぐもの」以上にネタの無駄遣いをしているかもしれません。本作につぎ込まれたガジェットで2~3冊は書けるでしょう。BIACの本来の使い方だけでも行けますし、何より感応通信は台詞一つだけで済まされていますから。オーブのワープ航法はありきたりとしても、モレリのエネルギー伝送は広げられそうです。
戦争のない世界、最初から平和利用だけに邁進して発展した科学技術の姿は、いつかどこかで見てみたいです。21世紀に入ってからというもの、なんだか世界が薄暗いので、輝かしい未来を描く作品は清涼剤になってくれます。
会社の避難訓練で起震車が来ていたので、乗せてもらいました。設定は兵庫県南部地震。関東大震災以上と言われたあの、阪神淡路大震災の地震名がアナウンスされていました。
現代人が日常で体験できる一番大きい揺れが連続する感じでしょうか。それだけなら言語を絶するほどではありません。地方の特急が強く揺れた時ぐらい。多摩テックのカナディアンジェットライダーの横揺れよりは弱いです。
ただし、自宅などで遭遇するであろう状況とは、テーブルと椅子しかないことが違います。実際は照明が落ち、棚が倒れ、ガラス戸が割れ、壁に亀裂が入り、或いは天井が落ちるといったことが、しかも不意打ちで来るわけですから、混乱の度合いは段違いとなります。
しかし逆に言えば家屋自体が壊れない限り、落ちるもの・割れるものを極力減らしておけば、安穏とした我々でも対処可能かもしれない、ということになります。まあ、本棚が壁面を埋める私の自室は無理ですが(ぉ、それでも天井突っ張り棒は設置済みです。
不意打ち対策については、我が820Pも次に予定しているiPhone4も、緊急地震速報に対応していません。元々携帯電話はうっかり忘れるレベルでしか使っていないので、あっても無駄とも言いますが。公共の場所であれば放送があるでしょう。
しかし...緊急地震速報の専用受信機はあまり魅力的ではありません。業務用の高価なものの他は、アイリスオーヤマに一つ、それ以外では三洋のコードレス電話が一つのみ。どちらかというと、緊急警報放送に対応した松下のラジオの方が日常に入り込めそうです。テレビやラジオを日常的に付けている方が違和感がないでしょう。
次の関東大震災は私が生きている間にきっと起こるのでしょう。その時は家族が全員、生きていられますように。
ラリー・ニーヴンの名前を「リング・ワールド」以外で知った人は少数派ではなかろうかと思います。私は「ウォーロック」シリーズで知ったのでした。というか「リング・ワールド」は未読ですな。
なぜ「ウォーロック」かといえば、ゲームブックブームの頃、ファイティング・ファンタジーの最初の掲載誌が「ウォーロック」だったから、という名前だけの繋がりだったりします。本を手に取るきっかけなんて、そんなものでしょう。だからこそ、古本屋で偶然見かけた、表紙がファンタジーっぽい「インテグラル・ツリー」を続いて手に取ったわけです。
「リング・ワールド」はダイソン球ですが、こちらにも近いアイデアがあり、ダイソンツリーと呼ぶそうで。それは彗星上で人間が活動するための籠だというのですが、物質の循環をさせるには資源が乏しすぎて無理そうな気がします。
一方、本作の樹は、大気のあるドーナツ状の惑星軌道を、無重力に近い状態で漂うものとなっています。資源は樹の外にもあり、例えば「池」も漂っており、時々樹と衝突しては洪水をもたらすのです。樹は一つの巨大な環境ですが、永続的なものでなく、それ自身も成長し枯れていく大きな循環が設定されています。
漂う位置で獲得できる資源が変わるため、全ての生物は軌道を修正する能力を持っている...。作中の人間は外来種で、まだ500年程度しか経ていないため、住環境である樹と一蓮托生するしかありません。こうした生物の設定は説得力があります。樹そのものに関しては、巨木より群体の方が進化や生存の説明がしやすい気がします。
作中の人間は、かつて宇宙船から逃げ出した地球人類で、それが文明や科学の多くを失いながら、環境に適応し原始的な社会を形成しています。無重力に合わせて進化し、身体もひょろ長くなっているのです(表紙の青年のように我々のような体型も稀にいる)。受精卵は重力なしでは成長しないことが明らかになっていますが、それも作中で考慮されており、妊婦は汐力を少しでも受ける場所にしばらく居住します。もっとも、受精卵に重力が必要なのは分化過程の話ですので、妊娠が判明する遙か以前に汐力を受けさせないと無駄ですから、死産・畸形出産の確率が高そうです。
疑問を感じるところはあります。樹の両端が反対方向の風を受けるとあります。大気の角速度との相対的なものなのはわかりますが、それなら回転し続けるか、横向きに漂うのではないかと思います。中性子星ルヴォイに対し茶柱のように安定するのが今ひとつ腑に落ちません。
「西は内に、内は東に」は恐らく衛星軌道を航行する話、軌道を下げると角速度が上がり、上げると遅くなる話だと思いますが、何しろ作中の方角がイメージしづらいため、よくわからない部分となっています。
樹は長さが100kmあって、重心ではルヴォイからの引力と遠心力が釣り合っており、無重力です。同じ物体ですから角速度が同一、内側は円周速度が足りず、内側への力を感じるはずです。外側は逆に遠心力が勝り、外側への力を感じるでしょう。これでは何もかもが吹っ飛んでしまうわけですが...何か回収して元に戻す仕組みが必要です。惑星ゴールドブラッドがそれのようですが、作中でもさわり程度のため、気になってしまうと疑問として残ります。
「ウォーロック」でも感じましたが、ニーヴンは人間の描写に関しては妙に生々しいのですね。本作でもいくつかのカップルに子どもができる話が含まれています。それでいて感情の表現は、文化圏が違うためか端折りすぎなのか、わかりにくい部分があり、読みにくさを感じる部分となっています。
終わり方はアメリカ的です。奴隷制への反乱を起こす舞台の名前が「ロンドン」樹とイギリスの地名ですから、ちょっと露骨なところもあります。反乱、漂流、樹の住民たちがかつて乗っていた移民宇宙船の管理AI(立ち位置として一種の神)との接触、その支配からの脱出、奴隷制度のない新天地での新たな生活、ともうSF関係ない話になっています。
舞台設定がSF風味なだけで、大航海時代的な冒険活劇と見るのが正しいのでしょう。元々人間が未開人レベルになっているため、機械類はOパーツ状態で滅多に扱いませんから、本筋をファンタジーとして楽しむことは、著者も望んだことかもしれません。その読み方をする限り、荒唐無稽でおもしろい作品だったと思います。
今年の7月に亡くなったジェイムズ・P・ホーガン氏の代表作を読んでみました。数年前に入手したままだったのですが、ムアコック再読が一段落したタイミングで割り込ませました。
洋モノSF小説とは縁が薄かった気がします。昨年頃からキャプテン・フューチャーを読んでいますが、他は和モノが少々のみ。というか「SF黄金期」50年代作品は、アシモフすら手を付けていなかったような...。
月の裏側で発見された5万年前の、我々地球人類そっくりの遺体。明らかに異文明の彼は何者なのか、その文明はどこにどうしてあったのか、どこに行ったのか。
余計な要素が一切なく、恋愛の「れ」の字さえない純粋なSFです。登場人物、特にダンチェッカー教授に語らせすぎの傾向はありますが、何しろデビュー作ですからね。読んでわくわくする感覚が大変強く、巻末でもそれを何より評価しようとありました。
各分野の研究班が手がかりを辿る様子、他の研究班の成果との絡み合い、議論、新たな発見、符合する「5万年前」...。この辺は手に汗握るのですよ。翻訳されてなおこのテンポの良さは素晴らしい。
また「チャーリー」の足跡を辿る時の、渓谷から見上げた地球の方向に違和感を覚えるシーンなど、巨大な予兆を感じさせるポイントがちりばめられ、読みながら「まさか」と想像させられるのが刺激的です。推理小説みたいですね。
主人公のハントは冷静な観察眼を持った科学者です。メインは物理学ですが、それに留まらない広い視野の持ち主。上から下に、俯瞰してから細部を詰めるタイプです。科学者としてのその姿勢は見習いたいですが、小説としては後半、そのために少し影が薄い気がします。
相棒となるツンデレのダンチェッカー教授は生物学。この人は視野が狭いようで(そのように筆者にミスリードされ)、子分共は本当に視野が狭いのですが、その実、守備範囲の中で絶対確実な足場から攻めていくだけなのですね。この人も無意識の前提を疑うことができる柔軟さがあります。ハントと逆に、下から上に進むタイプ。同一の特徴は同一の系統樹、というのが信念です。
この作品は1977年に発表されました。アメリカのスペースシャトル計画は既に知られていたと思いますが、比較的最近と言えるその頃でさえ、しかもハードSFと分類される作家の視点でさえ、21世紀半ばまでには木星に達すると考えられていたのですね。ソ連もあるしDECもある。それに引き替え、なんたる混迷の現実か。
ミネルヴァの衛星が地球軌道まで漂い月になったと推測する衝撃のラスト。自分の重力を振り切って小惑星帯になるほどの爆発があったら衛星もろとも粉々だろうとか、ミネルヴァが消失しても対太陽公転は止まらないのだから軌道がずれるとしたら太陽の重力じゃなく対ミネルヴァ公転の惰性だろうとか、装備も心許ない人間が生存できる時間で地球軌道まで漂わないだろうとか、そんな速度で飛んだとしたら止まるには衝突しないとスイングバイで宇宙の彼方だろうとか、ツッコミどころは色々あります。
しかし、そういう揚げ足取りは可能ですが、惑星外来種が来たら「進化の大爆発」で説明するだろうというダンチェッカーの言は印象的ですし(カンブリア紀にもありますね)、5万年前の潮汐変化とネアンデルタール人の滅亡とを一挙に説明しようという壮大な構想力は、背筋がぞくぞくするほど圧巻です。
人類はガニメアンからミネルヴァを受け継ぎ、地球はミネルヴァから人類と月を受け継ぐ。地球外の2つの文明の隆盛と滅亡、我々人類の由来、地球の由来、月の由来、2500万年のスケール。戸惑うほどの大きさです。
我々はルナリアンなので、新ミネルヴァ文明と月面の話はそれで決着です。証拠品は川に投げ捨てられてしまいましたから、ダンチェッカー教授の仮説を裏付けるものは未来永劫発見されないかもしれませんが。一方、旧ミネルヴァ文明であるガニメアンの話は続いているようですね。そちらも追々読んでみます。
仕事でもらったVisual C++ 2010 ExpressのslnファイルをダブルクリックしてもVisual Studio 2010 Professionalから開けないので試行錯誤したところ、UTF-8のBOMがないと受け付けられないとわかりました。
Version Selectorは共通でしょうから、ExpressだからといってBOMがないとは思えないので、何かの手違いでしょうが。