今年の7月に亡くなったジェイムズ・P・ホーガン氏の代表作を読んでみました。数年前に入手したままだったのですが、ムアコック再読が一段落したタイミングで割り込ませました。
洋モノSF小説とは縁が薄かった気がします。昨年頃からキャプテン・フューチャーを読んでいますが、他は和モノが少々のみ。というか「SF黄金期」50年代作品は、アシモフすら手を付けていなかったような...。
月の裏側で発見された5万年前の、我々地球人類そっくりの遺体。明らかに異文明の彼は何者なのか、その文明はどこにどうしてあったのか、どこに行ったのか。
余計な要素が一切なく、恋愛の「れ」の字さえない純粋なSFです。登場人物、特にダンチェッカー教授に語らせすぎの傾向はありますが、何しろデビュー作ですからね。読んでわくわくする感覚が大変強く、巻末でもそれを何より評価しようとありました。
各分野の研究班が手がかりを辿る様子、他の研究班の成果との絡み合い、議論、新たな発見、符合する「5万年前」...。この辺は手に汗握るのですよ。翻訳されてなおこのテンポの良さは素晴らしい。
また「チャーリー」の足跡を辿る時の、渓谷から見上げた地球の方向に違和感を覚えるシーンなど、巨大な予兆を感じさせるポイントがちりばめられ、読みながら「まさか」と想像させられるのが刺激的です。推理小説みたいですね。
主人公のハントは冷静な観察眼を持った科学者です。メインは物理学ですが、それに留まらない広い視野の持ち主。上から下に、俯瞰してから細部を詰めるタイプです。科学者としてのその姿勢は見習いたいですが、小説としては後半、そのために少し影が薄い気がします。
相棒となるツンデレのダンチェッカー教授は生物学。この人は視野が狭いようで(そのように筆者にミスリードされ)、子分共は本当に視野が狭いのですが、その実、守備範囲の中で絶対確実な足場から攻めていくだけなのですね。この人も無意識の前提を疑うことができる柔軟さがあります。ハントと逆に、下から上に進むタイプ。同一の特徴は同一の系統樹、というのが信念です。
この作品は1977年に発表されました。アメリカのスペースシャトル計画は既に知られていたと思いますが、比較的最近と言えるその頃でさえ、しかもハードSFと分類される作家の視点でさえ、21世紀半ばまでには木星に達すると考えられていたのですね。ソ連もあるしDECもある。それに引き替え、なんたる混迷の現実か。
ミネルヴァの衛星が地球軌道まで漂い月になったと推測する衝撃のラスト。自分の重力を振り切って小惑星帯になるほどの爆発があったら衛星もろとも粉々だろうとか、ミネルヴァが消失しても対太陽公転は止まらないのだから軌道がずれるとしたら太陽の重力じゃなく対ミネルヴァ公転の惰性だろうとか、装備も心許ない人間が生存できる時間で地球軌道まで漂わないだろうとか、そんな速度で飛んだとしたら止まるには衝突しないとスイングバイで宇宙の彼方だろうとか、ツッコミどころは色々あります。
しかし、そういう揚げ足取りは可能ですが、惑星外来種が来たら「進化の大爆発」で説明するだろうというダンチェッカーの言は印象的ですし(カンブリア紀にもありますね)、5万年前の潮汐変化とネアンデルタール人の滅亡とを一挙に説明しようという壮大な構想力は、背筋がぞくぞくするほど圧巻です。
人類はガニメアンからミネルヴァを受け継ぎ、地球はミネルヴァから人類と月を受け継ぐ。地球外の2つの文明の隆盛と滅亡、我々人類の由来、地球の由来、月の由来、2500万年のスケール。戸惑うほどの大きさです。
我々はルナリアンなので、新ミネルヴァ文明と月面の話はそれで決着です。証拠品は川に投げ捨てられてしまいましたから、ダンチェッカー教授の仮説を裏付けるものは未来永劫発見されないかもしれませんが。一方、旧ミネルヴァ文明であるガニメアンの話は続いているようですね。そちらも追々読んでみます。
洋モノSF小説とは縁が薄かった気がします。昨年頃からキャプテン・フューチャーを読んでいますが、他は和モノが少々のみ。というか「SF黄金期」50年代作品は、アシモフすら手を付けていなかったような...。
月の裏側で発見された5万年前の、我々地球人類そっくりの遺体。明らかに異文明の彼は何者なのか、その文明はどこにどうしてあったのか、どこに行ったのか。
余計な要素が一切なく、恋愛の「れ」の字さえない純粋なSFです。登場人物、特にダンチェッカー教授に語らせすぎの傾向はありますが、何しろデビュー作ですからね。読んでわくわくする感覚が大変強く、巻末でもそれを何より評価しようとありました。
各分野の研究班が手がかりを辿る様子、他の研究班の成果との絡み合い、議論、新たな発見、符合する「5万年前」...。この辺は手に汗握るのですよ。翻訳されてなおこのテンポの良さは素晴らしい。
また「チャーリー」の足跡を辿る時の、渓谷から見上げた地球の方向に違和感を覚えるシーンなど、巨大な予兆を感じさせるポイントがちりばめられ、読みながら「まさか」と想像させられるのが刺激的です。推理小説みたいですね。
主人公のハントは冷静な観察眼を持った科学者です。メインは物理学ですが、それに留まらない広い視野の持ち主。上から下に、俯瞰してから細部を詰めるタイプです。科学者としてのその姿勢は見習いたいですが、小説としては後半、そのために少し影が薄い気がします。
相棒となるツンデレのダンチェッカー教授は生物学。この人は視野が狭いようで(そのように筆者にミスリードされ)、子分共は本当に視野が狭いのですが、その実、守備範囲の中で絶対確実な足場から攻めていくだけなのですね。この人も無意識の前提を疑うことができる柔軟さがあります。ハントと逆に、下から上に進むタイプ。同一の特徴は同一の系統樹、というのが信念です。
この作品は1977年に発表されました。アメリカのスペースシャトル計画は既に知られていたと思いますが、比較的最近と言えるその頃でさえ、しかもハードSFと分類される作家の視点でさえ、21世紀半ばまでには木星に達すると考えられていたのですね。ソ連もあるしDECもある。それに引き替え、なんたる混迷の現実か。
ミネルヴァの衛星が地球軌道まで漂い月になったと推測する衝撃のラスト。自分の重力を振り切って小惑星帯になるほどの爆発があったら衛星もろとも粉々だろうとか、ミネルヴァが消失しても対太陽公転は止まらないのだから軌道がずれるとしたら太陽の重力じゃなく対ミネルヴァ公転の惰性だろうとか、装備も心許ない人間が生存できる時間で地球軌道まで漂わないだろうとか、そんな速度で飛んだとしたら止まるには衝突しないとスイングバイで宇宙の彼方だろうとか、ツッコミどころは色々あります。
しかし、そういう揚げ足取りは可能ですが、惑星外来種が来たら「進化の大爆発」で説明するだろうというダンチェッカーの言は印象的ですし(カンブリア紀にもありますね)、5万年前の潮汐変化とネアンデルタール人の滅亡とを一挙に説明しようという壮大な構想力は、背筋がぞくぞくするほど圧巻です。
人類はガニメアンからミネルヴァを受け継ぎ、地球はミネルヴァから人類と月を受け継ぐ。地球外の2つの文明の隆盛と滅亡、我々人類の由来、地球の由来、月の由来、2500万年のスケール。戸惑うほどの大きさです。
我々はルナリアンなので、新ミネルヴァ文明と月面の話はそれで決着です。証拠品は川に投げ捨てられてしまいましたから、ダンチェッカー教授の仮説を裏付けるものは未来永劫発見されないかもしれませんが。一方、旧ミネルヴァ文明であるガニメアンの話は続いているようですね。そちらも追々読んでみます。
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