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哀 ふるえる哀

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aisenshi.jpg数日前、イオンモール羽生の未来屋書店に行き、ついでにワーナーマイカルを覗いたところ、ファーストガンダム劇場版II「哀・戦士編」が金曜日までで上映されていると知りました。
今年が30周年なのでリバイバル上映があると聞いてはいましたが、まさかこんな近所でやっているとは。勤め人なので、金曜までとなれば金曜のレイトショーに行くしかないわけです。

整理しましょう、確か、「ジーク・ジオン!」で終わったのがIだったはずですね。つまりサイド7に始まり、ルナ・ツー前後でシャアと交戦。地上に降下してガルマ隊を撃退、そこにグフ初登場で大苦戦。ガルマ国葬にブライトさんが憤る、と。砂漠と海を渡ってジャブローまでがIIです。

案外覚えてないものです。シャアの失脚はコズンの台詞で語られていたんですね。IIIでもバーで酒を飲んでたりして、浮き沈みの激しい人です。仇敵の陣営で仇討ちをしようというのですから、仕方ありませんが。
「ミノフスキークラフト」という言葉がファースト作中で既に存在していたのも、今回初めて気がつきました。

アムロが脱走する直前、シミュレーションしていて居眠りしてしまうシーンのコンピューターの画面に、PSG音源チップのような型番がありました。AY3-8111とかそんな感じの数字が。全般的にどこかの回路図から拝借したような図でしたね。

ジャブローでのゴップ大将の台詞で有名なのは「フィアンセがいたんだっけな」ですが、その前にある「ソロモンが堕ちれば和平を持ちかけてきて戦争は終わる」は非常に重要ですね。幼い頃は全っ然、気にも留めない台詞だったのですが、デギンとその周辺にいる穏健派に言及しています。

とにかく何度も見ていた子供の頃は、単なる活劇として見ていましたから、戦争以外のシーンはあまり覚えていませんでした。スパイであるエルラン中将とジュダックにしても単なる「卑怯な悪い奴」。
援助物資を投下したルッグンをアムロが、MSも一撃のあのビームライフルで不時着させるシーン等、敵の兵士も人間だという描写はよく覚えているのですが、戦争の政治的な面を描いたシーンは当時は理解できなかったのだと思います。

さて最後のスタッフロール...じ、次回予告!?
「そして来春3月 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」
当時のテレビ放映は音声が切れる前に終わっていたように感じたこともあるのですが、気のせいではなかったことになります。最近新作として公開されたΖガンダムのIIIも3月だったらしいですが、そうですか、本編映像中に次回予告が入っていたのですか。
四半世紀を経ての大発見、忘れていたのではなく正真正銘の初見です。

劇場で見るのって、素晴らしいですね。

シゴフミ

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sigofumi.jpg
死に魅入られている人間などというものは、ロクなものではありません。キルケ某みたいな人でもあるまいし、絶望の闇の中で正しく歩ける人間は滅多にいません。そうでない人は、時間と共に熱病から醒めなければ、死ぬか、殺すか。向き合って人生の一部にするのは大切なことだけれど、取り込まれたら堕ちるのみ。
余命の宣告などによる自分の本物の死と違い、他人の死や、言葉だけの死は何か別の危険なものであるように思われるのです。

...というようなことを書きながらラスト2話を見始めたのですが、反吐が出るような展開でした。見てる方が辛いですね。なぜ虚構の世界でまでこの世の黒い部分を見せられなきゃならないのか...。

しかしそこからはとても明るい結末でした。フミとミカが本音でぶつかり合うシーンは爽快ですらありました。ミカに関しては駆け足だったので、チアキが何をしたのか全く不明ですが、原作を読めということでしょう。1クール作品の宿命ということで。

最も記憶に残っているのは、第3話の千川大輝の父が野島要に反論されて言葉に詰まるシーンでした。舞台「レインディア・エクスプレス」の遺書のシーンを連想してしまいました。実に。

設定には色々と矛盾も見え隠れしていますし、あんまり何度も通しで見ようとは思いませんが、印象的な作品でした。

I・Я・I・A ZEIЯAM THE ANIMATION

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iria.jpg
桂正和のファンです。中学生の頃、マンガ絵の真似事をしていた頃に模写したのが、桂正和(読み切り「電影少女」の頃)、黒岩よしひろ(「魔神竜バリオン」などの頃)、真鍋譲治(「キャラバンキッド」)、士郎正宗(「アップルシード」3巻ぐらいの絵柄の頃)でした。「ウイングマン」はパソコンのアドベンチャーゲームがあったな、ぐらいしか知らず、ほとんど忘れていました。

最初に買ったのは2冊組の短編集でした。先生の活動としてはラブストーリーの時代に入った頃になります。それから「ウイングマン」の愛蔵版など、色々と読むようになったのですが、その桂正和熱の中で入手したものの一つが、この「I・Я・I・A」でした(当時はLDで入手)。雨宮慶太の名を知ったのもこれがきっかけでした。

士郎正宗「仙術超攻殻ORION」で東洋風SFに興味を持っていたので、そのモチーフを動画で見られたことに感動しました。この人が「ORION」を映像化してくれないかと思ったものです。

世界観とメカデザインを前面に押し出すB級SFの王道。三下のザコ共(リリパット)がちょっと手を抜きすぎの感が否めませんが、それでもゼイラムはやはり強力な存在です。そしてイリアのグレンへの妹としての想い、ケイへの半ば姉としての想いがストーリーを進めていきます。

私が見ている作品ではあまり接点がないのですが、プットゥバヤの麦人氏も、怪しい老人ははまり役ですね。「新世紀エヴァンゲリオン」のキール議長、「ぱにぽにだっしゅ!」の宇宙人艦長など。ガンダムファンの間では、アムロに撃たれたチョイ役のジオン軍人ロスとして有名らしいですが。

それから...フジクロを演じている千葉繁氏のアクの強さといったらもう。
「差し入れだよ」(口が動いてないのでアドリブの可能性あり)
「へぇへへ、時計持ってねんだ」
「あばよークソガキ
この人一人だけで華を添えられるんですよね。
また、第3話の戦車(ファンタン)との追いかけっこシーンはこの作品の中では珍しく、動きから完全にギャグアニメ風で、この人ならではのテンションの見せ場になっています。

実写版で世界観は構築済みとはいうものの、これだけ手間のかかった作品も少ないのではないでしょうか。
clonewars.jpgあれからアニメ版DVDを入手しまして、ようやく見たところですが、イメージと違う感じが否めませんでした。或いは、それは旧シリーズ(Ep.4~6)が誤解を与えていただけなのかも知れません。

とりあえず全般的な印象としては、
・台詞が少ない
・絵は違和感なし
・動きはやっぱりアメリカアニメ
・ストーリーが大味
・内面描画が薄い・わかりにくい
といったところでした。動きに関しては、パワーパフガールズとかフューチュラマとか、あちらのアニメの動きです。絵もアメコミとしては好きな部類に入ります。

ひたすら戦争が描かれるので、人間ドラマを中心にしているEp.1~3とは一線を画します。だから4部構成(例えばEp.2を前後編)としないで、この部分を脇に追いやったのでしょう。制作費の問題も大きかったのでしょうが。

アナキンの暗黒面の兆候に関する描画は安直でした。アサージ・ヴェントレスに対して憎悪を爆発させる理由がよくわかりません。負けそうになってリミッター解除とかいう、日本のインフレ格闘漫画によくあるパターンに見えてしまいました。ノヴァンのラストシーンは暗黒の力なのかどうかも、ちょっとわくりにくかったです。ただの雄叫びだったようにも見えました。しかしどちらのシーンも、パルパティーン議長が言葉巧みに誘惑していったのと落差がありすぎます。こんなに簡単に暗黒面に引っ張れるのなら、長い間ねちねちと甘言を弄する必要はなかったのではないでしょうか。

さて、イメージが違うというのは、結局スターウォーズも超能力バトルだったのかなあ、ということです。日本人がスターウォーズをテレビで見た頃には、超能力ものは大量に存在していました。特に1983年の劇場版「幻魔大戦」の存在は大きいところです。Ep.5のダースベイダーは完全にこの系統でしたし、Ep.6の皇帝はあまつさえ手から怪光線まで飛ばしています。
しかし、ルークはライトサーベルを手元に寄せるぐらいでしか、最後まで念動力としてのフォースを使わなかったのです。「使う力」ではなく「感じ取る力」なんだろうなあ、アメリカ人の見る「禅」的なのかなあ、一味違うなあ、と思い込んでいたのですが、どうも違ったようでした。

Ep.1~3ではジェダイも念動力フォースを派手に使います。しかし面倒っぽい時にドロイドを吹っ飛ばしたり、シスの念動力に対する防御であったように見えたのです。しかしそれは、単にそう思おうとしただけかもしれません。
アニメではもう完全に超能力バトルとなっています。特にダントゥインでのメイス・ウィンドウは、そりゃあ派手に大量に大規模に嵐のようにドロイドを撒き散らしてくれました。すごい速さで移動しますし、ものすごい距離を飛びますし、何よりサイズミック・タンクからの衝撃波を防御するシーンは、これまたよくある不可視の繭のような超能力バリアだったのです。劇場版「AKIRA」で鉄雄がレーザーを防御するシーンとかですね。

フォースがただの超能力だったとすると、Ep.4~6の描画がおとなしかったのは、単に技術的な問題であって、本当はやりたかったのに私が勘違いしていただけなのか、と思ってしまうようになりました。
正直なところ、幻滅を感じています。あの伝説の松崎しげる版が私の最初のスターウォーズであり、小さい頃に最も記憶に残った最古の実写映画でもあったのです。

フォースの描画は、本当にこれでよかったんでしょうか?

いぬかみっ!

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inukami.jpg象さんの好きな作品でした。女性の裸よりは男性の裸の方が笑えるので、たまにこういう作品があるのはいいことです。
根は悪くないが浮気性の主人公がヒロインの超能力でとっちめられるパターンは「うる星やつら」以来の定番でしょうか。笑わせてもらいましたし、千葉繁氏の健在ぶりも見せてもらいましたので充分に楽しめたのですが、ちょっとストーリーが雑でした。
なでしこ、ですね。掘り下げ不足です。伏線は見られましたが彼女の過去自体に全く触れられず、最終回に見せた力も取って付けた感じが否めませんでした。それどころか川平薫を見殺しにしたと解釈できてしまうシーンがあるなど、第二のヒロインに当たるはずなのに扱いが悪いです。
終盤に入って二話連続でオリジナルストーリーが入っていましたが、片方を削ってでも、なでしこの過去にスポットを当てるべきではなかったでしょうか。
大変惜しい作品でした。

Zローンの融資を

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ZombieLoan.pngゾンビローンを見終わりました。
もっとオカルトにドロドロしたのを期待していたのですが!蝶のエピソードとか、もっとストーリーの核心に絡んでオカルトだと私のツボですが、それは他の作品にゆだねるとしましょう。

PEACH-PIT作品はオーベルテューレ放映ちょっと前にローゼンメイデンのアニメから入った普通のファンですが(原作も既刊を読破しています)、こちらはライトにオカルト、キャラ造形も女性向け要素がやや強い作品になっています。
知佳と思徒ら死人は生きたいと望みそのために走り回り、一方生きているヒロインみちるは当初「死んでいるようなものだ」と生きる希望をなくしています。そして本当に死んでしまうところからストーリーは始まりました。
アニメ最終話、偽りの命である肉ゴーレムの少女に思徒は「生きていていいんだ」と語りかけ、しかし天に送られる魂もなく息を引き取ります。そして日常へ。

ストーリーは単純明解な勧善懲悪活劇ですが、端々にメッセージが込められています。ちょっとひねった少年漫画に見られるタイプですね。
知佳・思徒や由詩・みちるの掛け合いも楽しかったです。なかなか楽しい作品でした。

世間ではローゼンメイデンと比較されるんでしょうが、DearSもそうですが別々の評価をすべきと考えます。

ふふん 或いは ふが

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PrincessResurrection.png「怪物王女」テレビ放送分全25話、見終わりました。22話には台風情報入りですが、まあ、後から見ると懐かしくなることがあるかもしれません。

怪物ですよ怪物。子どもの頃にお化けや妖怪に強い関心を持っていた人は少なくないでしょう。少し前にも怪談ブーム、そして今もゲゲゲの鬼太郎の新作が放送中です。怪物!!人外!!夜の族!!物の怪!!異形!!好きなんですよ見えるはずのないものが。化物!!そしてマンガ・アニメとして古典定番の一つたる怪物くんへのオマージュとして本作は生まれたわけです。

怪物ランドのプリンス・王族の姫(プリンセス)、お供の狼男・人狼、吸血鬼、フランケンとフランドル、そして姉と二人暮らしの市川ヒロシ・同じく日和見ヒロ。いいんですよオマージュなのはわかりきってますから。パロディ・パクリと言われてさえ構わないと思っているのかもしれません。これだけやると足枷になりかねない次元ですから、自分の作品として動かしていることを評価したいと思います。

色々やりましたねえ。透明人間(2)はフランドルの方に若干プレデターが入ってました。半漁人(4)、夜の病院(7話...蛹田院長が強烈でした、しかも再登場するし)、密室(8)、猫耳(11)、ファラオにミイラ男(12)、13話という素敵な数字の「生贄王女」ではサスペンスもやりました(これもまた良く作られていました)。デュラハンは峠を走り回るやら(14)、奇天烈な格好の魔女も出ました(17)。人魚(19)も押さえています。
鮫族(16)は創作でしょうか。死霊(23)はスーパーに籠城というあたりゾンビ(恐らくロメロ版)のパロディ。名もない「アレ」(8)は恐らく"The Thing"こと「物体X」のパロディなのでしょう。

半ギャグ作品ということで、ストーリーが進む話は序盤と終盤に集中しています。22話「殺戮王女」は原作では早いエピソードですが、いい感じに使いました。ストーリー結末の24話では勧善懲悪で悪役は悪役として無様に倒されて、実に痛快。改心せず倒される悪役もまた良いものです。むしろ個人的にはそちらの方が好き。

作画は良くはない...ですが、しかし声優、演出、原作は原作で好きですがアニメでのアレンジも、全体的なレベルは非常に高いものでした。
とても楽しい作品です。原作はまだ2巻までしか持っていませんが、こちらも読み進めるとします。

月姫(2)

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Tsukihime2.png真月譚・月姫の鑑賞。前回は6話までを見ての雑感(内容には一切触れませんでしたが)で、今しがた最後まで見ました。

骨格はラブストーリーですね。一応は人である者、全くの人外である者、引かれ合い、別れていく。志貴が不器用に描かれているからこそ(声優もよく合っていますね)、より切なく感じました。

原作での魅力的な設定・モチーフが使い切れなかったというところは原作ファンにはかなりの不満だったと想像されます。シエル先輩を活躍させる時間がなかったんでしょうが、第七聖典の出番がないというのは寂しい。

さてアニメ版単体で見た場合、志貴がアルクェイドを殺してしまうところが掘り下げられていないのは、謎として残ってしまいました。二重人格なのか、殺害衝動を内に秘めているのか。また序盤では何度か「昨日のことを覚えていない」というシーンがありますが、それにも関わる部分なのでしょうか。幼い頃の記憶は父の手で意図的に封じられたものだと解き明かされていますが、「昨日のことを覚えていない」は何なのか。

...といったところは原作をぽちぽちと進めて解明することとします。
結論として、尺は足りていませんでしたが、良作に分類できる作品だったと思います。というわけでDVD保存決定です。

月姫

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Tsukihime1.png流行に乗るというのは私には案外難しく、後追いすることが多いです。元・散財社会人らしく買ってはあるわけですが。

そういうわけで、新月譚・月姫を見ています。ゲームはちょっとだけ噛りました(本当にちょっとだけ...)。あれだけ台詞の長い作品を1クールに納めたのは大したものだと言うべきなんでしょうね。ファンにすれば「あんなの違う!」という次元なのかもしれませんけれど。

アルクェイドのように、ちょっとわがままで周りを振り回してくれるキャラクターは好きです。そうですとも、私は猫好きです。それは或いは自分が受け身であることを意味するのかもしれません。外部に変化の種を望む。自発的なものでなく誰かに振り回してもらいたいと願う。

ただの個性なのでしょうか。私が弱い人間だということでしょうか。弱さもまた個性でいいのでしょうか。

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