あれからアニメ版DVDを入手しまして、ようやく見たところですが、イメージと違う感じが否めませんでした。或いは、それは旧シリーズ(Ep.4~6)が誤解を与えていただけなのかも知れません。
とりあえず全般的な印象としては、
・台詞が少ない
・絵は違和感なし
・動きはやっぱりアメリカアニメ
・ストーリーが大味
・内面描画が薄い・わかりにくい
といったところでした。動きに関しては、パワーパフガールズとかフューチュラマとか、あちらのアニメの動きです。絵もアメコミとしては好きな部類に入ります。
ひたすら戦争が描かれるので、人間ドラマを中心にしているEp.1~3とは一線を画します。だから4部構成(例えばEp.2を前後編)としないで、この部分を脇に追いやったのでしょう。制作費の問題も大きかったのでしょうが。
アナキンの暗黒面の兆候に関する描画は安直でした。アサージ・ヴェントレスに対して憎悪を爆発させる理由がよくわかりません。負けそうになってリミッター解除とかいう、日本のインフレ格闘漫画によくあるパターンに見えてしまいました。ノヴァンのラストシーンは暗黒の力なのかどうかも、ちょっとわくりにくかったです。ただの雄叫びだったようにも見えました。しかしどちらのシーンも、パルパティーン議長が言葉巧みに誘惑していったのと落差がありすぎます。こんなに簡単に暗黒面に引っ張れるのなら、長い間ねちねちと甘言を弄する必要はなかったのではないでしょうか。
さて、イメージが違うというのは、結局スターウォーズも超能力バトルだったのかなあ、ということです。日本人がスターウォーズをテレビで見た頃には、超能力ものは大量に存在していました。特に1983年の劇場版「幻魔大戦」の存在は大きいところです。Ep.5のダースベイダーは完全にこの系統でしたし、Ep.6の皇帝はあまつさえ手から怪光線まで飛ばしています。
しかし、ルークはライトサーベルを手元に寄せるぐらいでしか、最後まで念動力としてのフォースを使わなかったのです。「使う力」ではなく「感じ取る力」なんだろうなあ、アメリカ人の見る「禅」的なのかなあ、一味違うなあ、と思い込んでいたのですが、どうも違ったようでした。
Ep.1~3ではジェダイも念動力フォースを派手に使います。しかし面倒っぽい時にドロイドを吹っ飛ばしたり、シスの念動力に対する防御であったように見えたのです。しかしそれは、単にそう思おうとしただけかもしれません。
アニメではもう完全に超能力バトルとなっています。特にダントゥインでのメイス・ウィンドウは、そりゃあ派手に大量に大規模に嵐のようにドロイドを撒き散らしてくれました。すごい速さで移動しますし、ものすごい距離を飛びますし、何よりサイズミック・タンクからの衝撃波を防御するシーンは、これまたよくある不可視の繭のような超能力バリアだったのです。劇場版「AKIRA」で鉄雄がレーザーを防御するシーンとかですね。
フォースがただの超能力だったとすると、Ep.4~6の描画がおとなしかったのは、単に技術的な問題であって、本当はやりたかったのに私が勘違いしていただけなのか、と思ってしまうようになりました。
正直なところ、幻滅を感じています。あの伝説の松崎しげる版が私の最初のスターウォーズであり、小さい頃に最も記憶に残った最古の実写映画でもあったのです。
フォースの描画は、本当にこれでよかったんでしょうか?
とりあえず全般的な印象としては、
・台詞が少ない
・絵は違和感なし
・動きはやっぱりアメリカアニメ
・ストーリーが大味
・内面描画が薄い・わかりにくい
といったところでした。動きに関しては、パワーパフガールズとかフューチュラマとか、あちらのアニメの動きです。絵もアメコミとしては好きな部類に入ります。
ひたすら戦争が描かれるので、人間ドラマを中心にしているEp.1~3とは一線を画します。だから4部構成(例えばEp.2を前後編)としないで、この部分を脇に追いやったのでしょう。制作費の問題も大きかったのでしょうが。
アナキンの暗黒面の兆候に関する描画は安直でした。アサージ・ヴェントレスに対して憎悪を爆発させる理由がよくわかりません。負けそうになってリミッター解除とかいう、日本のインフレ格闘漫画によくあるパターンに見えてしまいました。ノヴァンのラストシーンは暗黒の力なのかどうかも、ちょっとわくりにくかったです。ただの雄叫びだったようにも見えました。しかしどちらのシーンも、パルパティーン議長が言葉巧みに誘惑していったのと落差がありすぎます。こんなに簡単に暗黒面に引っ張れるのなら、長い間ねちねちと甘言を弄する必要はなかったのではないでしょうか。
さて、イメージが違うというのは、結局スターウォーズも超能力バトルだったのかなあ、ということです。日本人がスターウォーズをテレビで見た頃には、超能力ものは大量に存在していました。特に1983年の劇場版「幻魔大戦」の存在は大きいところです。Ep.5のダースベイダーは完全にこの系統でしたし、Ep.6の皇帝はあまつさえ手から怪光線まで飛ばしています。
しかし、ルークはライトサーベルを手元に寄せるぐらいでしか、最後まで念動力としてのフォースを使わなかったのです。「使う力」ではなく「感じ取る力」なんだろうなあ、アメリカ人の見る「禅」的なのかなあ、一味違うなあ、と思い込んでいたのですが、どうも違ったようでした。
Ep.1~3ではジェダイも念動力フォースを派手に使います。しかし面倒っぽい時にドロイドを吹っ飛ばしたり、シスの念動力に対する防御であったように見えたのです。しかしそれは、単にそう思おうとしただけかもしれません。
アニメではもう完全に超能力バトルとなっています。特にダントゥインでのメイス・ウィンドウは、そりゃあ派手に大量に大規模に嵐のようにドロイドを撒き散らしてくれました。すごい速さで移動しますし、ものすごい距離を飛びますし、何よりサイズミック・タンクからの衝撃波を防御するシーンは、これまたよくある不可視の繭のような超能力バリアだったのです。劇場版「AKIRA」で鉄雄がレーザーを防御するシーンとかですね。
フォースがただの超能力だったとすると、Ep.4~6の描画がおとなしかったのは、単に技術的な問題であって、本当はやりたかったのに私が勘違いしていただけなのか、と思ってしまうようになりました。
正直なところ、幻滅を感じています。あの伝説の松崎しげる版が私の最初のスターウォーズであり、小さい頃に最も記憶に残った最古の実写映画でもあったのです。
フォースの描画は、本当にこれでよかったんでしょうか?