「朝の蜘蛛は敵でも逃がせ、夜の蜘蛛は親でも殺せ」
これは昔「地獄先生ぬ~べ~」で仕入れた迷信ですが、夜、車の中で蜘蛛を見つけました。フロントガラスの内側を歩いているのです。しかも、よく見ると糸を一本張り付けています。
何だかフロントガラスに何本かの糸が張られているような気はしていたのですが、現行犯というわけです。でも最初に見かけてから1年は経っている気がするのですが、寿命が長いのか複数の個体なのか。繁殖している気配はないので世代交代はないでしょう。アリグモを思わせる細長い胴、体長10mm足らず、色は白っぽく、足は太くなく、綺麗な蜘蛛でした。
何しろ夜のことですし、これを逃せば次の目撃が何ヶ月先になるかわからなかったので、殺害止むなしとティッシュで押さえると、幸い見た目ダメージなく捕まえることができまして、外に放してあげたというわけです。
生きるということは時間を進むということ。
永遠でない時間を削ってゆくということ。
生まれ、成長し、成熟し、老い、死ぬ。
先に生まれれば先の時間を進み続けていく。
必ず終わりは訪れる。
親と接していて、最初に一抹の寂しさを覚える瞬間というのは、力比べで勝った瞬間だと思います。
絶対の存在である親に、まず力だけでも勝つことは、幼年期の終わりを告げる儀式の一つです。
そして女性であれば嫁いだ時が次の寂しさでしょうか。
その次は、働いていた親の退職や引退。
それに前後して…親の老いを見た時。
ただの衰えならいいのですが、認知症の兆候というのは衝撃を受けざるを得ないものです。悲しさ、寂しさ、焦り…。
還暦ををそれほど過ぎていないのでやや早いです。鬱を患っているのでそちらの影響でしょうか。
しかし対処すれば進行を遅らせることも、場合によっては改善することもありますから、早いうちに対策を講じられるようにするとしましょう。
プロレスが真剣勝負だというのは素敵な嘘です。
サーカスの見せ物から始まったといわれるプロレスは、超人格闘舞台とでも呼びましょうか、真剣勝負ではありません。もちろん真剣にやっていますが、いかに見せるかに重点が置かれています。
でも、だからこそいいんです。真剣勝負なら駆け引きは面白いですが技は無難なものになっていきます。バクチがそうは打てませんから、デメリットの少ない技が重宝されるからです。
プロレスは筋書きがあり悪役もいる。阿吽の呼吸で喰らう方も受け身を取っていて大技が出せる。それがおもしろいんです。筋骨流々の大男が人とは思えねぇ大技を繰り出して喰らった方も立ち上がって来やがる!それがプロレスなんです。
ある意味、サ○タ○ロース(夢ある子供のために伏せ字にします)に近いでしょうか。夢のための嘘。知っている人は知っている暗黙のルール。川口浩探検隊の方が近いかもしれませんが、そういうものなんです。
何より、プロレスならではの美しい技を堪能するだけでも楽しいと思うんですよ。
そんなプロレスも最近は番組がほとんどなく、テレビ観戦派としては寂しい思いをしています。視聴率低迷ですぐに切るのではなく、ファンを開拓する努力も必要ではないでしょうか。
秋雨の季節になりました。雨の日は大変冷え込みます。ひと月前まではまだ暑い日もあったのに、秋は過ぎるのが早いです。
雨が降ればワイパーですが、発車してからしばらくは駐車中の雨が天井にたまっているので、ブレーキを踏むとフロントガラスに流れ落ちてくるのです。滝を見ているようで楽しい。それをワイパーでまとめて拭き落とすのもまた壮快。
後続車は確認していますが、ついついブレーキを踏む足に力が入ります。
ざざーっ、すぱっ、ざざーっ、すぱっ
楽しいです。