助けを

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いじめで自殺。

教師の指導力に問題があったのは確かでしょうが、なぜ登校拒否にならず親に泣きつくこともなく死んだのか。そこのところを考えてみる必要があるのではないでしょうか。

学校が全面的に悪いようなことを記者会見で述べるのが全く間違いとは言いませんが、自分の責任について自覚があるのかどうなのか。

昔、舞台を見ました。自殺した生徒が残した手紙を友人が預かり、それを彼は頑なに見せることを拒み続ける、という内容のものです。

周りの大人は「誰がいじめたか書いてあるんだろう」とばかりに手紙を見ようとするのですが、最後に明かされたその手紙には、ただひたすら今まで世話になった人への感謝の言葉が綴られているだけでした。

ところが親の名前がなかったのです。

あれは小学2年の頃か3年か、集団下校で6年生を含めた複数児童からのいじめを受けていた時期がありますが、母親に「やり返せ」の一言で済まされてしまいました。

味方ではないと認識された人間に、子供は二度と助けを求めることはありません。

適当にあしらわれ、ぶつけられた土が酷く苦かったのを覚えています。私は表情を作ることを覚えました。詮索されて却って傷をえぐられ落胆するぐらいなら、何事もなかったように振る舞う方がストレスが少ないからです。

たとえ家族が一度も教えたことがない事柄でも、知らなければ母と兄の二人がかりで責め立てられました。知らないことは論外で、従って聞くことは同じぐらいの大罪でした。我が子の仇を見るような目で睨まれました。

授業参観で間違えた答えを言ったら(しかしテスト的には誤答だが今考えても筋は通っていた)、授業後に涙声で「うちのバカ息子がご迷惑をおかけしています」と教師に謝罪されました。専業主婦であっても親に教育の責任はないようです。

家族からさえ、教えてもらうではなく横目で盗み取らなければなりませんでした。学校のテストは、事実として難易度は低めですが、100点で当たり前、点が低くて呆れられることはあれ、褒められることはありませんでした。

兄は兄で、母親がこんなですから私をストレスの捌け口にせざるを得なかったのでしょうが、性的な虐待までされました。性を意識するより前のことでした。それとわかったとき、どれだけ傷付いたことか。

ある日、家の玄関前で蜘蛛の巣を払っていると、後ろから来た兄が「何してる」と聞き、蜘蛛の巣だと答えると「そんなものねえよ」と怒鳴られました。手で確かに触れたものさえ否定されたのです。

褒められたこと、あったかな...。あったと思いますが、例えて言えば人質が誘拐犯に褒められても気が安らぐことが全くないようなものです。信頼関係がなければ言葉は伝わりません。次の瞬間怒鳴られるかもしれないのに、どうして喜べるでしょう。

母は元教師で、登校拒否児を無理矢理学校に連れてこさせて卒業させたことを自慢げに語っていました。今なら死んでいるでしょうね。

家族でどこかに行くと私は一人で歩いていました。母がいつもふて腐れた顔をしてずっと後ろを歩き時々道に迷うため、前と後ろと両方を見ながら歩くのです。父と兄は会話をしながら勝手に先を行く。ネグレクト包囲網。

いじめっ子がいじめたことを覚えていないのと同様、やった方は覚えていないのです。

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