ハーモニー

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伊東計劃氏の名前を知ったのは...ネット上の口コミだったと思います。何となく「才能を惜しむ」空気があったのは覚えていますが、故人になっていたとは知らずにいました。

最初に手に取ったのがこの「ハーモニー」でした。

読み始めの印象はあまり良くありませんでした。XMLタグが奇をてらいすぎに見えましたし、「生命主義社会」が現代日本の風刺として鋭いとは思ったものの、自殺を目論む少女たち、なんて飽きるほど見た題材でしたから。

でもこのXML風の表記、実は既に使っているんですよね。古くは"(笑)"、悪癖だと思いますが最近では語尾の"w"といったものがそれに当たるでしょう。同じ言葉でも込める感情や口調で受け取り方が変わるものです。声と文字の違いを何とかしようとした試行錯誤がそこにあります。

昔は"(爆死)"とか"(ぉ"とか他にも色々ありましたね。今も特定方面では"(迫真)"とか使っているようですが(震え声)。

以下、ネタバレありです。


というわけで、社会批判の面から維持された好奇心で読み進めました。過去のミァハとその影を背負っている現在のトァン、この二人の切り口だけでも面白いのですが、批評だけなら小説である必要はないわけで。

最初にやられたのはキアンの通話記録のシーンでした。生命が公共リソースとして認識されている以上、死んだと言われたなら確実にミァハは死んだのだろうと思っていたのですが。

冒頭の方で「ミァハとの再会」と確かに書いてはありましたが、比喩だと思ったのです。そっくりの考えを持つ別人や、冴紀ケイタが言っていた「肉体を捨てた精神」としてとか、少なくとも同じ肉体を持った状態で生きているとは考えもしませんでした。

この辺の展開力が恐らく、未読ですが「虐殺器官」でミステリーの賞をも取った理由なのでしょう。

SFらしい架空理論としては、冴紀とガブリエル・エーディンとが解説するところの、意志に関するモデルが中盤でようやく登場します。これがまた説得力がありまして、これを根拠として現代社会を突き詰めた未来を構築したのが本作なのです。

ところで「今の一万クレジットと一年後の二万クレジット」というエーディンの問いに、私は迷うことなく瞬時に後者を選んだですよ。冷静なのは健全ではない場合もあるので、もうちょっと人間味のある思考ができるようになりたいですね。

文明の歴史は自然を克服する歴史。肉体を、病を全て克服できたとしたら、次は精神を克服することになるだろう、というのがテーマになっています。意思が魂だとかいう特別で至高なものでないとしたら。

たとえ脳科学者でも、自分の意識を電流の流れが作る無味乾燥なものだと思っている人はいない、とどこかで読んだ気もしますが、そういう保守的な発想は得てして、後の世代には無意味になっていくものです。時間と共にタブーは薄まっていきます。

果たして現実の世界が精神をも克服しようとするかどうか...。するでしょうね。今のところ精神科の医療は薬が主役です。効率的な方法がそれしかない事情はあれ、簡便な方法が存在すれば必ず容易く使われます。まして作中のように、大義名分があれば止まるはずがありません。

私自身は精神は至高なものだと思っています。この手のものは、なくしかけた人間の方が大切さを説き、そしてそれが理解されることはあまりないのですが。知る人と全く知らない人との断絶は、未来永劫埋まることはありません。

作中では全人類から意識が消失して完璧なハーモニーを奏で...ません。WatchMeの導入率は8割ですし、意識の消失はあくまで後天的なものです。果たしてWatchMe導入前の子どもは、完璧な親とどんな軋轢が生じてしまうのか、多少興味があるところです。

また残された疑問が一つあります。ミァハがなぜキアンを自殺させたのか。ミァハの目的は老人たちに「ハーモニー・プログラム」を発動させることであって、そのためにテロ(本来の意味で)を起こす必要がありました。

キアンが選ばれたのはランダムな結果だと言うのですが、その結果数千人のリストを確認したのはなぜか、たまたま目に入ったとしても、わざわざ話しかけたのはなぜか。

彼女らの組織であれば、キアンがあの錠剤を飲まなかったことを調べられたでしょうが、単なるささやかな復讐だったのか。或いはそうすることでトァンと会いたかったのかもしれない、と思ったりするのでした。


ところで、本筋とは関係ないのでしょうが、登場人物の名前がケルト神話なんですね。細部をすっかり忘れてなお、そんな気がした自分を褒めたいです(何。早速、井村先生の文庫本をひっくり返しました。

ケルト神話では、ギリシア神話のように時代と共に5種族の人間が登場しますが、トァン・マッカラルは最初の種族パーホロンの生き残りで、転生しながら5種族の全てを見て、それを今の人間に伝えた人物です。

他、メジャーな登場人物は5種族の4番目(トゥハ・デ・ダナーン=ダーナ神族)です。以下は全てダーナ神族になります。

ヌァザはヌァダの表記が一般的ですが、魔剣を持つ戦神でダーナ神族の王です。一つ前の種族(フィルボルグ)との戦いで片腕を失い、一時期は銀の義手を付けていました。義手の間はしきたりに従い王位を譲っていましたが、治してもらって復位しました。

ヌァダの腕を元通りに治したのが医術の神ミァハです。同じく医術の神ディアン・ケヒトの息子で、実は義手を作ったのがその父ですが、成果を妬んで殺されてしまいます。その際、自らを3度治し、4度目で遂に死にました。

キアンはキァンと表記されますが、ヌァダの次の王、太陽神ルーの父です。フォモール族との戦いの前に、助力を求めに行く途中で、トゥレンという一族の兄弟に殺されます。でも、スコットランドにコラン・ガン・キァンという首なし妖精がいるようで、自殺シーンに合わせてそちらかもしれません。

エーディンは絶世の美女ですが、本作のストーリー的には特に隠喩もなさそうです。ダーナ神族ミディールの妻でしたが、蝶に身を変えさせられている間に1000年以上過ぎ、再び人間になってからはアイルランド王エオホズの妃となりました。

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