Sacrifice

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「たったひとつの冴えたやりかた」という言い回しを時々目にしていました。至近では「よくわかる現代魔法」だったでしょうか。妙に存在感のある表現を複数の人が使っている時、そこには大抵元ネタがあるのです。

極限状態の選択を描く「方程式もの」という作品群があるそうな。極限状態なら何しても許されるんと違うかな、と他人事視点で見る限りは単にあざとい設定でしかないので、どれだけ感情移入するか(させるか)で評価が大きく変わるでしょう。それでなのかどうか、代名詞になったトム・ゴドウィン「冷たい方程式」も本作と同じく、少女が標的となっていたようです。

本作は、初めて宇宙に出た夢いっぱいの少女コーティーが、救済不能の状況に陥ってしまい、その中で一番マシな方法として死を選択するという、まことに救いのねぇ話となっています。表題そのものの汎用性もあるでしょうが、女の子らしさが存分に表現されているのと、友達になった宇宙生物シロベーンもろともに死ぬ結末によって、語り継がれているのでしょう。

文庫には三編収録されていますが、少し長めの「衝突」も印象的でした。公式のファーストコンタクト以前に、ならず者による不幸な接触があったとしたら、誤解を解くのに大変な努力が必要でしょう。地球上でも繰り返されていることです。

この作品では思念の領域という変わったものが設定されています。これに従って考えると、人間が自分を人間だと普通に認識できているのは、人間が集まることで発せられる思念が我々を覆っているためである、となります。その領域に異邦人が踏み入ると、「こういう姿でこう振る舞わねばならない」というプレッシャーを感じるとか。

海外を旅行すると、言葉だけでなく自分の服装、肌や髪の色、といったものに当然ながら違いを感じるわけですが、それをもっと強調した概念でしょうか。宇宙船の乗組員がそれを感じ、思念との仮説を立てた時、「人間も実は同じことをしているんじゃないか」と反応するのですが、「できる」でなく「している」なのが興味深いところ。

作風や特にSFガジェットに古くささがありますが、「衝突」は万人にお勧めできるのではないかと思います。

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