しやわせ

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ITは果たして人間を幸せにしているのだろうかと疑問に思っています。不況の閉塞感による妄想かもしれませんが。

かつて産業革命の際にもそう考えた人は多かったのかもしれませんが、今は何やら一線を越えている気がするのです。一線とは生物としての人の能力といったもの。

例えて言うと、少年兵が対物ライフルを持たされているような。素手がナイフになり、小さな拳銃になる程度なら問題はないのですが、体格や体力に合わない武器を持たされて、振り回されているような感じです。
金融工学もその一つに見えますし、ITも、それによる情報の氾濫も、人間の身の丈に合った力なのだろうか、と。

生まれた時から馴染んでいれば、ひょっとすれば適応できるのかもしれませんが、それにも限界はあるでしょう。でなければ枯れ葉剤で奇形児が生まれることはないのです。

ITがもたらす効率化についても、ひょっとしたら失業者を増やしているだけかもしれません。数として雇用は創出されているにせよ、弾き出されるような非ITの人たちの受け皿は皆無でしょう。

それというのも技術が先鋭化しているためで、多くの人に理解不能な場所が発展している状態です。無関係ならまだマシですが、実害があるのでは、遠くのサーキットから排気ガスだけが漂ってくるような、困った状態と言えます。

狂ったように幸せをかき集めても、未来からの前借りに過ぎないのかもしれない、とさえ考えてしまいます。バベルの塔が崩れたのは神の手ではなく自重によってだったのかもしれない、と。

農村がいいなどとは言いません。馴染める人・馴染めない人はあらゆる局面にいるのであって、その割合は多少変化させられるにせよ、万人が馴染める方法はこの世には恐らくないのでしょうから。

しかし日本のように一極集中とグローバル化が同時進行すると、とてつもなく住みづらい不寛容な社会ができるようには思います。

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