2012

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2012.jpgまた...最終上映でした...。病気ですね。
見てる最中は楽しい作品でした。リアルタイムの迫力では優れているということで、それは間違いありません。以下は、思い返すとつまらないなあ、という視点によるものです。

マヤ歴が云々するので、例えば時空転抄ナスカのような、こてこてに中米っぽいシーンが少しはあるかと思ったら、全くありませんでした。集団自殺のテレビニュースぐらいでしか映らなかったのではないでしょうか。

いつも通りストーリーは希薄ですが、致命的なのは、2012年という数字の必然性が全く表現されていなかったことです。
例えば1999年は、少なくとも20世紀終盤にあってはそれだけで説得力がありました。日本では五島勉由来のノストラダムスの存在もありましたので尚更です。

しかし2012年というマヤ歴の終わりは知名度が低いため、ある程度の時間をかけて端々で取り上げ、重みを持たせなければなりません。限られた尺の中で一つの設定に説得力を持たせるのはホラー映画が得意とするところですが、せっかくのバックボーンが数字に過ぎぬままとなり、ただのパニック映画になってしまいました。

せめてマヤの神殿の地下から地殻の崩壊が始まるぐらいはできたでしょうに、ストーリーは何故かインドから始まり、崩壊の始まりはアメリカでした。そして方舟は中国。超大国の世代交代を暗示しているつもりでしょうが、地球の核が熱せられているなら全世界同時が自然ですが、このご都合主義にハリウッドの悪いところが見えてしまいます。

CGも見飽きた動きで興醒めするところもありました。サンピエトロ大聖堂の崩壊が最たるもので、作為的なローアングルの画面を埋め尽くす、微妙に浮いた巨大物体でシーンの最後を締めるのは、そろそろ止めにしてほしいものです。
不自然に鮮やかすぎるのも相変わらず。これは特撮のB級映画でも時々あった傾向で、技術より作り手の問題でしょう。本作だと例えばハワイのシーンは煙っていなければなりません。

地割れのヒビの表現にしても、何だか卵の殻が割れるようで厚みが感じられませんでした。ナイフで切ったようにスパスパ裂けるほど地面は固くありません。車で逃げるシーンでは、それが気にならないぐらい全体の動きも複雑で迫力がありましたが。

危険だったけれど無理して助けられる人を全員助けました、というよくあるハートフルなシーンで目論見通りに感動する以外は、スピード感しか取り柄がないようなものでした。パニックものにしても薄すぎないでしょうか。

残された人を収容するのも、30万人全滅のリスクを考えると甚だしく疑問です。「子どもにどう伝えるのか?」似非ヒューマニズム極まれり。ボランティアもそうですが、やれる範囲を超えたものに手を出して自滅したら誰が幸せになるのでしょう。
「ジオブリーダーズ」11巻に「行動が美しいからって結果が常に美しいとは限らない」という台詞があります。正義の味方を「一人を助ける為に九十九人を死なせる人」とする辛辣な論評に続くシーンです。絶対に勝てるならともかく、と。

あそこに少なくとも1隻分10万人が残っていたわけですが、助かるはずの30万人をも全滅させるリスクを背負った葛藤は描かれていませんでした。少しでも助けようとするが、もう間に合わなくて収容しきる前に断腸の思いでゲートを閉じるぐらいすべきです。
何しろ全世界で何十億人もが、ほとんど描かれずに死んでいるのですから、その程度はしないと、わずか数日であらゆる生命が死に絶えていく、大絶滅が目前に迫っているリアリティがありません。

船尾ゲートが閉まらず、主人公ジャクソンが命がけで直すのも、自分らが壊したのだから独り相撲だよね、とツッコミできてしまいます。
また海賊ラジオ局のチャーリーが作ったと称するアニメで強引に観客への解説をするあたり、SFの説明は苦手なのかもしれません。

ラストシーン、アフリカに行こうとなるのはミトコンドリア・イヴ的な繰り返しなのでしょう。また視点の高度がどんどん上がって映る地球の大陸はパンゲアでしょうか。終わり方だけは悪くありませんでした。

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