雑記-不定期な独り言-
2000/11/28
「ブザマね…」
アメリカの大統領選はまだ決着しない模様です。唯一の超大国の動向ですから、興味を持って監視しなければなりません。
しかし茶番よの。例の「紛らわしい」パンチカード式投票用紙の問題ですが、ゴア候補のつもりでブキャナン候補に投じた人と、本心でブキャナン候補に投じた人とが区別できるのだそうで。同様に、穴を二つ空けた人がどちらに投票しようとしていたかもわかるらしい。ただ一つの穴が中途半端に空いているというのならともかく。
そういった票は無効票にする以外にあり得ないと思うのですが…。民主主義のために全国民の正確な意志を汲み上げる必要がある――― 等とゴア副大統領は述べているようですが、記名投票なら聞き返すこともできようが、無記名による遠慮ない意思表示を選んだ段階で、無効票の問題は解決できない宿命だと思うのですけどね。
それよりもまず、その「神懸かり的な判別能力」で民主主義が足蹴にされないか、予防線を敷いた方が身のためではないでしょうか。ブッシュ候補は裁判による介入に疑問符を付ける、三権分立の原則に関する裁判を始めるようですし(ことごとく棄却されて、残ったのがこれだったという笑えないオチもあるが)。
# パンチカードを採用しているのは、機械集計のためという他に、識字率の問題もあるのでしょうか?
アメリカに振り回される諸外国としては、パックスアメリカーナからできるだけ離れた路線を展開してくれる方がありがたく、その点で、いわゆる白人社会そのものである共和党は日本に対して、より厳しく接してくるでしょう。ネットバブルも風前の灯、そろそろ貿易赤字論争がくすぶり始めていますしね。軍事面でも、在日米軍基地周辺には辛いことになるかもしれません。
しかしそれでも、傍観者では必ずしもない日本という国にいても、ゴア候補は実に利己的であり、近寄らざるべき危険分子と見えてしまいます。民主党が民主主義を踏みにじってどうするのでしょうか。日本の国益には民主党の方が良いはずなのに、ブッシュ候補が勝利寸前なのも苦々しく映りませんし、逆にゴア候補の駄々っ子ぶりには辟易します。
集計でもめ出した当初、記者の一人が「国連の選挙監視団を受け入れる予定は?」と聞いていましたが、その必要があったと思わせるほどに、20世紀最後の大統領選は、今も極端な混乱をもたらしています。
2000/11/24
「少年犯罪」
「あんないい子が…」
この呟きは、今日の少年犯罪を最もよく表している言葉だ。
すなわち、その子はいい子ではない。演技を重ねてストレスをため込み、人知れず心が荒んでいった末路なのだ。
「いい子」の特徴は、親の望む姿であり続けなければならないと思う姿勢だろう。そのため普段の姿は年齢不相応に仮面をかぶった偽りのもの。歯車が狂いかけても自分が悪いと思い込み、親に相談するなど考えない。「自分はかなわぬ子なのだろうか…」、と自分で自分を責め、破滅に近付いていく。
そしてそれは間違いなく、親が刷り込んでいった思考パターンだ。親の言うことをよく聞き、本を読み、礼儀正しくし、お勉強に励む。さらに「おとなしく」というのが加わることもある。そんな子がいるか!
子どもというのは、いい子であるはずがない。無論、ヤニを食ったりヤクをタレたりナイフを振り回すのが自然な姿であってはならない。ここで言うのは、いたずらもするだろうし、ケンカもするだろう、怪我もするだろう、ということ。
なにしろ赤ちゃんは自分の身体の動かし方さえ知らない状態でこの世に生み落とされる。自らの試行錯誤により身体を動かすことを覚え、親と接することで言葉などを受け取り、玩具を持っては知性を働かせ、兄弟と接して社会の予備学習をする。全て無尽蔵な好奇心によってもたらされるものだ。その対象が自発的に制限されることは一切ない。あらゆることをしていくものなのだ。
ただし放任はよくない。悪いことは認識させなければ、本人のためにならない。…それだけでいいはずだ。
悪は予防する。だが、それ以外は気のすむまでやったらいい。つまり、いいことをさせるのではなく、悪いことをさせない。進化論における中立進化説のようなもの。それが動物としてのあるべき姿だと考える。結果としていい子になることもあるだろう。それは本当にいい子だろうし、そうでなくとも非行に走らない元気な子にはなるはずだ。
また、殺人を筆頭とする絶対的悪はともかくとして、本人が痛い目に遭わないと学べないことは多い。例えばアイロンで火傷をするのは誰もが通る道だろう。親としては被害を小さくする工夫をしていくことになる。なにも一生ものの怪我をする必要はないわけだが、繰り返すが、子どもは無知である。全てを体験によって学んでいく存在だ。小さいうちは、伝聞による学習は効果がない。その学習方法「疑似体験」もまた、会得しなければならないからだ。それは或いは親の目には無駄と映るかもしれない。だがゼロからの学習に効率を持ち出しても始まらない。何が効果的かも個人差はある。そういうことを考えるのは先でいい。
既に「いい子」の悪循環が始まっている子に、いまさら子育て論は不要かもしれないが、原点に立ち戻れば在り方が見える。そして殻を破る努力は親子双方がするのが望ましい。子が自分をさらけ出そうとしても、親が受け入れなければ不毛な努力に終わる。親がいい子を求めるのを止めても、子がそれを「落第宣告」と受け取りかねない。ねじ曲げられた子育て、自滅に向かう人格、そしてそう仕向けられている社会。悪意はなかろうが、結果として子を封殺する仕組みができ上がってしまっている。次代を育てられない社会は、その育て損なった世代によって壊れていくだろう。
これは連鎖してきたものだ。今の親がかつて「いい子」になるよう育てられたと考えられ、つまりそのまた親が、何らかの原因で「いい子」を求めたと想像する。すると時代的に敗戦が影を落としている可能性を指摘せねばならない。無理からぬ話だ。国があれこれ言っても、どん底にある人々には届かなかったろう。55年経って、いまだに戦後は終わっていないことになる。
# 鹿鳴館に象徴されるように、日本は百年間にわたって劣等感を持っており、
# 敗戦はそれを後押ししただけと考えることもできる。
さて、いい子の犯罪は確かに増えている。少なくとも印象的だ。しかし不良もまた増えている。それも無知な獣として。理性や道徳に欠け、しかも程度を知らない。殺意なく金属バットで後頭部を殴るような蛮人だ。親は子の非行を嘆く暇があったら、獣を人に戻す努力をすべきだろう。そして人になれないのなら、獣として調教が必要だ。殺人への厳罰を含む少年法改正の与党案は、その意味で現実的と言える。だが同様に厳罰に処せられることになる、逃げ場のない「いい子」をさらに追い込んでしまうと野党は反論する。いずれの言い分も間違ってはいない。
これはケースバイケースで量刑に幅を持たせられれば、解決するかもしれない。問題なのは人が獣に殺されることであり、更正せぬまま殺人鬼が再び野放しになることだ。一方、「いい子」はストレスの塊ではあるが、理性もあり道徳も備えている。願わくば人を殺さずに「サイン」を発してほしいものだが、罪を犯した時点で壊れていなければ、ストレスの原因が解消されれば更正させるまでもなく立ち直っていくだろう。「サイン」のために人を殺したとしても、同じ過ちは繰り返すまい。更正していれば、被害者の遺族も多少は理解してくれるかもしれない。
どのみち、これだけでは少年犯罪は解決しない。罪を犯さないようにすることが最も重要なのだから。すなわち教育改革。そしてそれには時間がかかる。それまでの間、応急処置として少年法を改正するのも、無駄なことではないだろう。時間をかけて大もとに挑んでいる間は殺し放題など、望む者などいはしないのだから。
2000/11/9
「世代間格差」
大学に行っているのである。一年生の講義を受けていたりする。そして教職の講義で先生に聞かれたのだ。「高校の時、インターネットに触れていたか?」と。
私が高校にいたのは1990年4月〜1993年3月。パソコン通信が輝いた最後の時代。インターネットの商利用が始まる前後のこと。つまり、一般化する前である。パソコンを使う者もまだ少なく、クラスに5人もいれば多い方であった。
今の一年生で現役は1996年〜2000年。驚くべきことに…Windows95発売後の世界であり、68k系Macが既にない時代であり、ICM倒産後であり…恐らく緑電子も知るまいな。
# 「iMacでMacユーザーになった人って、Aldus社を知らないんだろうなあ」等という
# 呟きを漏らしたことがあるが、その時に気付くべきだったかもしれない。
# 平成生まれが小学生なんてことは、ささいな問題なのだ。元号ではなく時代が違うのだから。
私も歳を取ったが、それでも博士課程程度のものだ。これから教壇に立つ人も少なくなかろう。が、それでもこれだ。無論、情報方面の技術には日常的に触れているわけだから、知識で引けを取るとは思わない。負けは許されないが。だが、高校生活に情報社会が結びついた状態を想像するのが困難なのだ。
学外の情報、規格化されていない情報、「有害」情報。それらに授業で触れるとは? 取捨選択は、そして公教育は?
学校教育というのは基本的に規格化されている。個性の尊重云々以前に、与えられる情報の平等を実現するためだ。そこに、情報の魔窟であるインターネットを組み込むというのは、既に原則、理念に反していると言える。だが、今後来る情報格差(デジタル・ディバイド)をできる限り避けるには、教育の場で触れさせねばならない。日本が世界の最先端であり続けたいならば。
# 産業立国を諦めるという選択肢もあろうが、国力も落ちるし赤字も減らない。
これはパソコンを配れば済む問題ではない。同様に、通信回線を強化すれば情報化が進むわけではない。すなわち既に役所言葉になっている、ソフトとハードの問題だ。両方なければダメなのだ。ハードを整備すればソフトが自動的についてくるほど現在の技術は甘くない。古人は言ったものだ。「パソコンも、ソフトなければただの箱」と。実に、実に言い得ているではないか。ソフトも、ハード自体も、今ほど重要でなかった頃の言葉なのに。
かくて、未来の国力を育成するために、教育現場にインターネットが入り込む。平成15年、普通教科に「情報」が加わる。教育改革の展望も見えぬ間に、時代だけは先に行く。インターネットは全てがある。歓迎せざる情報もある。それらに触れても道を踏み外さないようにするのが真の教育だが、果たしてそれができるだろうか。
2000/10/17
「都落ち」
2000/2/13
「PS」
プレイステーション次世代モデルの発売が近づいてきた。94年冬に登場したセガサターン/プレイステーションの時代がとうとう終わろうとしている。PC-FX? NECインターチャネルとハドソンが着いたハードが後継機種だからいいの(T_T)。
私も個人的キラーソフトに撃沈して既にドリームキャストを持っている。最近はバーチャロン・オラトリオタングラムやダイナマイト刑事2(爆)でよく起動している。それで上記二機種の起動時間が大幅に低下していたのだが、久々にPSを起動した。かつて果たせなかった、風のクロノアのエキストラステージをクリアするために。
こうして見比べると、掛け値なしにDCの性能は高い。まあ、SSから5年経ったし、コンシューマーのくせに放熱ファンが必要なような、ある意味異常なCPUを搭載しているのだから、これで新鮮さがなかったら価値はないのだが。無論、性能と楽しさは必ずしも比例しない。実際に風のクロノアは相変わらず楽しめた。画質(解像度)で見劣りするだけのことだ。問題が解像度だけならば、PC-6001版タイニーゼビウス(コンセプトが同じだけで移植ではなかったが、256×192の16色だったか)やMZ-700版スペースハリアー(キャラクター表示なので40×25の8色)といった極端な例も存在する。そのゲーム世界に入ることができさえすれば、ハードの性能は関係ないのだ。
そしてPS2。最初は綺麗なだけのゲームが出るであろう。魂の抜けたような、モーションキャプチャそのままのアクションゲームも出るのだろう。オラトリオ・タングラムの動作はモーションキャプチャではなく手入力のデータだと聞く。やはり手間をかけないと良い画面にはならないものだ。綺麗でおもしろいゲームはいつごろから出てくるだろうか。
P.S.
エキストラステージは、14分14秒40でクリアできた。短いとはいえ、スーパーマリオ2よりも難しいのではなかろうか。…そういえば、WS版の方もエキストラはクリアしていなかったな…ああぁ。
2000/2/5
「日常的に触れるもの」
気が付くと、開発機で会社の部品は、筐体、FDD、HDD、LANボード、ディスプレイ、マウス、メモリの半分…だけになってしまった(爆)。マザーはP5A-B(1.04)、CPUはMII-400GP@433GP、PDドライブODX654P、メモリのうち64MBは自前、MillenniumG200、98配列USBキーボード、5インチベイ用スピーカー、そしてSoundBlasterAWE32PnP。
まあナンである。本来は枯れたハードを選りすぐり、可能な限り安定した環境を作るべきなのだが、BorlandC++に慣れた身にはVisualC++は恐ろしく遅かったというのが始まり。FSBは速い方がいいだろう、2ndCacheは1MBだろう、UltraATAは必須だろう…。ここでCPUになぜかCyrixを選んでしまうのが私らしいが(笑)。CPUを最初は流用していたからSocket7なんだね。互換チップセットに互換CPU…。サーバー用途には辛いかもしれないが、Workstationとしては充分安定していて幸せだ。
# 結局、手持ちにCyrixは数あるが、AMDはEUA-QPだけだなあ。
# HM2を持っていてHK6を持っていない人間が、他にいるだろうか(滅)。
サウンドカードをつけたのは、Windowsの警報システムが音を使うものだから。Accesibilityの画面警報は目に悪いし…。
MillenniumG200の前はViRGE/GX2(没った試作品らしいのは秘密さ(^^;)だった。800x600という低解像度に貧弱なディスプレイでも、画質が目に見えて違ったのには驚いた。nVIDIA(個人的に好きではない)とSavage4(実際に動かなかった)以外でDFP出力を装備できてしかもWindows2000にドライバが入っていること、を条件に選んだところ、自然とこれになった。私は9821ユーザーだから、初代Millenniumのことはよく知っていたが、再びMatroxに帰ることになったのには縁を感じる。
一時期、ディスプレイのせいでひどく体調を崩していたので、液晶にしようと思ってDFPを考えたのだが、最近はアナログ入力の液晶も大したもののようだ。ほんの半年前は、どんなに調整してもWindows終了画面のような1ドットメッシュは縞模様になってしまったものだが、今ではSXGAでも綺麗に表現できている。もはや画質ではなく色の再現性という次元に入ったらしい。DTPやCG方面のユーザーを多く抱えるAppleやSGIまでがデスクトップ向けの液晶を発売しており(まあこっちはDVIやOpenLDIだけど)、プロ向けに耐える時代になったようだ。
キーボードである。カナ入力をする人間には、やはり98のキーボードから離れられない。カナロックがある点だけでなく、スペースバーの長さにもメリットがある。106キーボードとは、なぜああまでにスペースバーが短いのだろうか。アルファベット、つまりプログラミングに差し障りがあると思うのだが。
そして、現時点で解決し得ない問題がもう一つある。なぜNEC自ら作ったものなのに、98NXノートには98キーボードモデルがないのだろうか? マン・マシン・インターフェースは重要だ。キータッチの問題は我慢できても、キー配列まではどうにもならない。
2000/1/19
「ビームサーベル」
「男の子文化」を代表するものと言ったら、ヒーロー、ロボット、乗り物…あたりだろうか。即物的だ(^^;
# だから「女の子文化」に戦隊ヒーローを持ち込んだ「セーラームーン」は金字塔なのだ。
その象徴がガンダムである。「一年戦争」こと初代の放送当時、高校生・大学生だった人たちは、四十近くになろうとしている。社会の中枢に浸透し始めていると言え、より高度な産物が生み出さる時代がやってきた。
現段階でガンダムの息吹最大の成果は、セガ「バーチャロン」ではないかと思っている。バーチャルリアリティーの中でインタラクティブ性を得た巨大ロボット。それはアニメとしてのガンダムの正統的な進化ではなかろうか。
ガンダムが定着させた文化というと、やはりビームサーベルであろう。「バーチャロン」でも多数登場しているが、アファームドのビームトンファーという異色で男前な物まで作り出した。ガンダムでは形を持ったビーム兵器と言ったら、サーベルの他はジャベリン、薙刀ぐらいのものだったが。その上、「バーチャロン」が生まれる土壌となった「対戦格闘ゲーム」文化(さらにこれはマンガ・アニメ文化の上にある)から、剣での遠隔攻撃(「『気』を放つ」)をも取り入れているのは素晴らしい。
スペシネフがどう考えてもエヴァンゲリオンの初号機+量産型であり、グリス・ボックの首から下がランドメイト「ギュゲス」、フェイ・イェンがセーラームーンでエンジェランがベルダンディというのを、あまり快く思わない人はいるだろうが、パロディとはいかにアレンジするかが重要で、そのままでなければOKだと考える。クリエイターが作るものは、あらゆる分野と作用し合っているのだから。
# ちなみにソーラ・レイの超巨砲文化も、ジグラット、タングラムに生きている。
アファームドの軍人スタイルは、一部のジムが実現しているので驚くには値しないかもしれないが、アッザム(→ジグラット/ブラットス)やザクレロ(→バル・ケロス)のような異形なメカもいるのは、さすがと言う他ない。ドル・ド・レイを見慣れるとドルカスがシンプルに見えるのが恐ろしいところだが…。
# ベルクトル/グリス・ボックはビグザム系に入るのかもしれない。
さらにもう一つの文化、遠隔攻撃兵器「ビット」まで登場させている。一応エンジェランの龍の召喚もこれに入るが(汗)、バル・バス・バウ/バル・バトスが最たる例、ドルカス/ドル・ド・レイのハンマー・ドリル・クローもその一つに挙げてよいだろう。これらはあのエルメスの「オールレンジ攻撃」を可能としているのである。
さて、現実のロボットである。現実世界でも昨今、進化スピードを上げている。本田技研工業「P2」の二足歩行が震源だったろうか。早稲田のロボットも二足歩行に成功した。そして、会話中の身体・頭・視線をシミュレートするもの、感情をシミュレート、指先、人間的感覚をシミュレートするもの等、特定分野に限って人間に近付こうとする物。さらに一部は実用化されている。ソニー「AIBO」を筆頭とするペットロボット、スバルのビル清掃ロボット(エレベーターで移動できる!)、綜合警備保障の警備ロボット…パノラマカメラ搭載で、360゜全てお見通しという…。
だが、私が一番注目しているのは、臨床リモコン操作ロボットだったりする。内蔵されたマイクで声を聞き、照明やテレビを操作する。最初の物は、実に単純だった。小さな横長の頭にはつぶらな目が二つ(カメラではなくただの塗装)。足はなく、移動はしない。そして簡単ながら両手が付いている。この手は万歳しかできないのだが、首をかしげる動作と合わせて、キティちゃん系の素朴な愛らしさをかもし出している。個人的にも病室にあったら嬉しい。
人が造った、人のパートナー。彼らはどこまで進化するのだろうか。
P.S.
通産省などがロボットの産官民合同の三ヶ年プロジェクトを立ち上げた。日本の技術が集結して高みを目指す。これの成果もまた楽しみである。
2000/1/13
「We are De+Lax」
名古屋は今池、ライブハウス「ボトムライン」でDe+Laxのライブを見に行ってきました。背広のままで定時ダッシュ(核爆)。
De+Laxは、88年結成、93年3月に解散したロックバンドです。メンバーはドラム:高橋まこと、ギター:榊原秀樹、ベース:鈴木正美、キーボード・パーカッション・サポートギター:京極輝男、そしてボーカル:宙也。
3rdアルバム「KINGDOM」が出た頃に知りました。兄が同アルバムに収録されている「Global Street」をTVK(テレビ神奈川)の音楽番組で見つけてきたのです。それから大好きになり、以来ずっとファン。私はあまりコンサートに行くという習慣がないので、歌もほとんど覚えるほど好きだったのに、機を逸して高校三年に。5thアルバム「Our Favorite Roads」の後、解散を発表「やり尽くした」。ラストライブのチケットを、予約開始日を一日間違えるという凡ミスによって取り逃し、私は彼らを見ることができなくなってしまったのです。ライブ関係のものと言えば、ライブアルバム「BooTLEG!!」のみ。楽しかった高校生活の最後に、一つだけ悲しい出来事が加わってしまいました。
その後、高橋まことがGEENAを結成、宙也はZERO dBに参加、後にLoopus結成。私は、相変わらずCDだけではありますが、宙也を追いかけました。Loopusの公式ページ(今はないらしい…?)からの情報で、埼玉までZERO dBのCDを買いに行ったりしましたっけ。
しかし彼らは帰ってきました。登竜門的ライブハウス「パワーステーション」が取り壊される際、ここを巣立ったバンドが一堂に会したのです。そこにDe+Laxもいました。それが98年夏。そして一年後、ついに再結成したのです。
# …って、その頃私は凹んでて、世間のニュースなど耳に入っていませんでしたが。
痛み分けというところでしょうか(^^; 危惧はしていましたが勉強不足気味。再結成後の三枚のCD、あまり聴いていませんでしたから…。やはり聴かなければ。生まれて初めて、ウォークマンなどの携帯プレーヤーに興味を持つに至りました。
リターンマッチに行くしかないですね。「CRAZY BOY」も思い出せなかったし。でも、「NEUROMANCER」「Global Street」「One Plus One」、ラスト「Pop is My Life」はちゃんと歌えたぞ。
サイン色紙ももらってきたし(^^;;、久々に楽しい時を過ごしました。土曜なら東京でも行ってやるぜ(猛爆)。
P.S.
調べたところ、宙也は83年頃には音楽活動を始めていたのですね。De+Laxの前は「アレルギー」というバンドにいたようです(「幻覚アレルギー」とは別物であろう)。それ以前に、De+Lax自体が最初は宙也とは別のものであったとか。以前の活動もCDになっていたようですが、さすがに入手は困難でしょうか。また、Loopusは現在も活動中のようです。
2000/1/10
「狂気」
アメリカンコミック「バットマン」のオリジナルストーリーを麻宮騎亜が手がける。掲載は講談社のマガジンZ誌。
「バットマン」は、最近では「SPAWN」などがあるいわゆるダークヒーローの、かなり古い作品である。そして、大人をも捕らえて放さないものにしているそのテーマは、「ヒーローの狂気」。
あなたの隣人がヒーローを始めた、或いは突然なったとしたらどうだろう? 一般人に見えるだろうか? 今までのような付き合いができるか? 善である、つまり人又は社会の味方である(ように見える)という点以外に、ショッカー怪人と何が違うだろうか?
「バットマン」は地球人で、ただの実業家なのだ。変身は超能力に依らないもの、変装・仮装だ。そうして「正義の味方」もまた、人から乖離させてしまう「狂気」に取り憑かれている、というのが「バットマン」の魅力なのである。
私はヒーローもののアメリカンコミックが嫌いであった。だから、「スーパーマン」最終回にも感慨は沸かなかったし、まして「ジャッジ・トレッド」のような在り来たりのヒーローには、たとえ主演が誰であろうと興味を持たなかった。
だが「SPAWN」がそこに刺激を与えた。私をダークヒーローの世界にいざなったのだ。そして、日本の番組で「バットマン」の特集を偶然見ることがあり、その哲学に触れたのである。目から鱗、ぞくぞくするほど魅力的であった…。
ダークヒーローを、精神的・肉体的に陰の部分を持つヒーローであるとするならば、私は既にヒロイックファンタジーの分野で、マイクル・ムアコック作品にはまっている。その私が「バットマン」や「SPAWN」に惹かれるのは、必然だったかもしれない。
不幸なことに、私は「バットマン」をまだ読んだことがない。今回の麻宮騎亜作品が最初となるが、第一話を読んだ限り、かなり良い感じである。果たしてこれが原作の雰囲気なのかはわからないが、この調子で見せてほしい。
2000/1/7
「待ち人」
2000年であるが、ゾロアスター教徒ではないので取り立てて意味は感じない。更新が遅いものだから、新年を新ページにできないし…(滅)。
ところで、元号使うなら皇紀でもいいと思うんですよねぇ。書類上・情報処理上は元号より簡単だしぃ。どっちも天皇絡みなんだから、それほど意味に差はないし。建国神話の一つぐらいフツ〜フツ〜。どこぞの教祖が生まれた年より、自国の建国神話を元にする方が、よほど健全だと考えるのだ。「イエス」と「神武天皇」と、政教分離の上でどれほどの違いがあるというのだろうか?
さて、大国魂神社でのおみくじは大吉だった。けれど、待ち人は難しいようである。思い当たる待ち人は…
・ALi AladdinK7及びAladdinTNT2
・ImaginationTechnology PowerVR3
・PENTAXのデジカメ新モデル
・PIONEER DVD-RW又はPHILIPS DVD+RWのPC向け製品
・外付け反射型液晶ディスプレイ
・ガールフレンド
# 物欲一覧表に見えるのは気のせいだ(爆)。
なかなか、ユーザーの立場から見ると、PCの世界は欲しいものが手に入らない。私が欲しいものが変なのだろうが…。かつてMacとWindowsの統合環境が欲しいと思ったのは、CHRPが策定される一年前だった。OS/2 for PowerPCには随分と期待したのだが…。
PENTAXファンである。MXとSFXnのユーザーである。EI-C90という40万画素のデジタルカメラが97年に発売されているが、それ以来音沙汰なし。次に出るのはいつであろう…。来ない待ち人というのは、これのことになってしまうのか。
外付け反射型液晶ディスプレイは、PENTAXのデジカメ以上に来なさそうだ。VDT症候群(※KOT症候群ではない)が重症になってきた私には、恐らく効果的だと予想されるのだが。こっちからアプローチしてみる…か? 金はないが、実験台にならなれるぞ。さあさシャープさん、DVIで作ってみない? DFPでもいいから…。
ん、なんだ? 最後のは!!(死滅) はい、募集中です。って、モーションをかけないとねえ。ヘッドが回転するほどのインパクトを!(意味不明)
というわけで、今年もよろしくお願いします。
1999/11/21
「武蔵丸」
平成11年秋場所、千秋楽に3敗の横綱同士が相星決戦。武蔵丸と貴ノ花。
立ち合いで貴ノ花は左上手と右前まわしを取り、武蔵丸は右の差し手のみ。貴ノ花が攻め、武蔵丸がこらえる。と、土俵際で武蔵丸が右ですくって、貴ノ花の上体がぐらつきます。そして中央に戻り、再び貴ノ花が攻め、右も下手で深く取りました。しかし、右すくい投げがきれいに決まって、軍配は武蔵丸に上がり、ついに優勝したのでありました。
1999年代最後の土俵は、素晴らしい取り組みで締めくくられました。
武蔵丸、好きです。妙に足の運びが大きくなって勇み足になってしまったり、時々完全に後ろを取られたりするところも好きですが(^^;、一番好きなのは、あのとぼけたコメントと、そして特に笑顔です。今日もNHKのスポーツトゥデイに出演していましたが、とぼけた控えめのコメントの中、一瞬だけニコっと笑いました。あの笑顔のなんと嬉しそうなこと!
角界は格式を重んじるので、なかなか力士が素顔をのぞかせる機会は少ないのですが(小錦と北勝海の白鳥の湖とか、どつき漫才とか、なかなかテレビでは見られない…。番組改正期の特番ぐらいかな?)、武蔵丸は力士としての風格もありますが、柔らかいキャラクターで、見ていて元気になるところがよいですね。
1999/11/5
「ゲイリー・キルドールのジレンマ」
私はパソコン好きである。そして現在、その業界にいる。
知ったことも多い。でもその多くは口外できない。
また、外界から知りたくないこともできた。盗作してしまわないように、実物を見たくない。
仕事のパソコンと趣味のパソコンとは、明らかに違うものなのだった。
1999/11/1
「外套」