雑記-不定期な独り言-
1999/5/26
「体罰と学習」
人間というのはそんなに偉いものかねぇ?
私は体罰全面禁止というのに賛成できません。人間も所詮動物なんです。言葉だけで全てが解決するはずがありません。身体で覚えることも必要だと考えます。もちろん「適度」にであって、過度な暴力には断固反対ですが。
尻叩きとか、木製ミニバット(全長30cmぐらい…ボール置きのやつだな、あれは)で重力に任せる感じで頭にコツンとか、痛いけれど重症や心の傷にはならない方法はいくらでもあります。そもそも、罰という概念を正しく植えつけずに、どうして法治国家たり得ましょうや?
言葉は万能ではないのです。もし万能なら、戦争やケンカ、事故といった失敗は全て起こり得ません。言われたことを正確に思い描いて疑似学習をする…としても、イメージトレーニングには限界がありますしね。クルマの事故だって、ニアミスをして初めてその恐ろしさを実感することでしょう。どんなに安全運転を心がけても、運の悪い人は最初の学習の機会が人身事故だったりしますが…。
体罰反対、体罰反対…で、どんな子どもが育ったか、検証する時期に入ったのではないでしょうか。
1999/5/24
「威厳」
親には威厳がなければならない。ここで言う威厳というのは、反論を許さぬ絶対的立場のこと。もちろん、少なくとも道徳的には正しいことを説教する場合の話ですが。
マンガ「バスタード」で、アビゲイルという人物の台詞の中にあるのです。人間は天使を見て、いたずらに対して手を振り上げた飼い主の前でおびえる子犬のように、相手を絶対者と直感し、畏敬・恐怖・後悔を感じるだろう、というもの。
まあ、私はクリスチャンではないのでこの辺にして、道徳教育というのは理詰めばかりでは語れないものだと思うのですよ。理屈っぽく解読したところで、「そうした方が世の中うまく進む」程度の説明しかできないでしょう。それでは子どもは信じない恐れがある。道徳教育は、教え込むのではなく叩き込まれるべき次元の知識なのだから。
知っておかなきゃあ、道徳を身に付けた人間によってでき上がった、地域(ムラ)から国家に至る「組織」の中では生きていけなくなってしまいます。
道徳観の堕落…親の威厳低下とも関連があると思うのですよ。
1999/5/21
「爪切り」
東急ハンズANNEXで、ヘンケルズの爪切りというのを買ってきた。標準サイズで\1300也。高い。確かに高いが、私はこういう贅沢は好きである。マンマシンインターフェースこそ品質が重要なのである(ちょっと違うような)。98のキーボードだって、最初はわざわざ9801VX用新品を\19800も出して買ったのだ。Win95になって9801RA用(こっちは中古で\5800)にする必要があったけれど、人が触れる部分は贅沢になるべきなのだっ!
ALPS製キースイッチを使ったMZ-2000のキーボードも素晴らしかった…。「ヲ」が独立していたけれど(^^;
価格競争もいいんだけどさ、マスメディアの方でももっと、キーボードなんかの品質を取り上げてほしいなあ。
1999/5/20
「春眠暁を覚えず」
眠い。
目の前で説明を受けていても寝てしまう。病的と言うほかない…。研修が始まる前は、そんなことはなかったのになあ…。環境が激変したからか、それとも枕のせいか。たるんでるとか、そういう次元じゃないんだよ! 興味深い話を聞いていても寝てしまうんだもの。助けてくれ…。
今日などは遅刻までしてしまった…5分だけれど。寝過ごしてしまったのね。たぶん起こしてくれたと思う…でも起きられなかったということなのだろうなあ。勤怠管理表につけておきました。「遅刻5分」と。
…とにかく熟睡ができていない。神経内科を薦められたけれど、睡眠異常というやつだぁ。聞くところによれば、同部屋の相方が私のいびきを愚痴っていたということなのですが、私がいびきをかくはずがない! あり得るとすれば…睡眠時無呼吸症での呼吸回復時の騒音。となるとちょっと重症だ。
総合病院で午前中からの受診が良いとのアドバイスも頂きました。うーん、とりあえず今週で抗鬱薬がなくなるので一度帰省するわけだが、どこに行くべきか…。耳鼻咽喉科、形成外科、神経内科…いやいや、専門的に研究をしている愛知医科大か。ちょっと遠いが…(藤が丘)。
「家庭の医学」によれば、睡眠障害は鬱病に多いと最初に書かれていた。ズボシだ(汗)。寝る前の薬を少々変えてもらうとしよう。
とにかく何とかしなければ、私の将来に暗雲が立ちこめてしまう…最初の正念場というわけだ。
1999/5/13
「笑顔」
笑顔は好きだ。特に子どもの弾けるような笑顔。そして同じぐらい、お年寄りの笑顔も。
季節もののニュースとして毎年恒例の泣き相撲では、子どもの泣き顔と大人の笑顔が対比していて、これまた好きなのだが、中でも世に言う中年以上の人の笑顔は、暖かくて、味があって、見ている方も心が和む。笑うというのは身体に良いコトだとか聞いたことがある。それを見て、私も微笑む。こうしてちょっぴり元気になる。
1999/5/9
「キキーッ! ドスン!!」
朝方、ネットサーフをしていると(爆)、マンガのように的確に擬音語できる音が聞こえてきた。家の近くで事故があるとは珍しい。見通しの悪くはない緩やかなカーブ。よそ見でもしない限りは…いや、T字路の出会い頭か?
より正確に書くとスキール音は「ギャギュゥウ!」だけど衝突音は本当に「ドスン」という感じだった。
…犬だそうだ。大型犬が飛び出てきて、何とかかわしたものの街路樹に突っ込み、なぎ倒しつつ不時着的に停止。車種はJZA70後期型スープラ(もったいない)。右フロント中破、液体漏れあり。右フロントで漏れるのは、ウォッシャー液(経験あり…初事故の時)だろうか、オイルだろうか? 犬と飼い主は行ってしまったそうだ…非常識な話だ(或いは痴呆の可能性も否定できないか)。
ちなみに一歩間違えば、我が家のガレージに突入。止まってよかった…。運転手は打撲…かな? 自分で歩ける状態。これまた大事に至らず本当に良かった。家の前で人が死ぬなど寝覚めが悪いし。
一応は自走でき、自力で脱出して路肩に寄せ、JAFに牽引されていきました。その最中、会社の上司が二人、ご登場。そうかー、私も社会人だから、もし自損ではない事故を起こせば、会社の人が来るのだろうなあ。
ちょっと遠くの土木屋さん。なので植木方面も詳しい。街路樹は何とかするよう、地元の業者に手配するとのこと。物損とはいえ…まあ、「自転車は転ぶと思え、歩行者は飛び出すと思え」という格言があるけれど(著作者:兄)、同じドライバーとして同情に値する。全てを予測してハンドルを握るのがドライバーの理想像だけれど、犬…か。いや法律上はもの扱いで命は軽く、轢いてもいいっちゃあいいのだけれど、せめて避けられたのだから、物の賠償だけで済んだのだから、戒めとして今後に活かすより他あるまい。そして自分も。
1999/5/7
「射抜く」
配属の内示がありました。希望の部署で取ってくださいました。ああ既に大変な迷惑をかけてしまっての入社だったというのに…。この恩は忠義で返さねば。私は転職に抵抗のない人間ではない。退職金のことも考えるとなあ…リストラってのも、特に大型企業では勤続年数が一つの基準らしいし。
デメリットがなければ現状維持。というとお役所みたいだけど、変えることによるメリットがなければ、ね。
1999/5/6
「後悔」
私の父方の祖父は、昨年6月に亡くなった。米寿の誕生日から一月足らず、突然の入院から十日足らずで帰らぬ人となった。死因はいろいろ書かれていたが、結核の再発がきっかけと見て間違いなかろう。肺の機能が元々低いところに感染症を患い、悪いことに耐性菌(MRSA他多種、VREにも)にまで感染し、西洋医学では手の付けられない状態だった。肺がやられるとどうしようもない。酸素濃度100%でも酸欠状態だったから…。
よくある誤解だが、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)は院内感染とは限らない。院内感染で有名になったものだから、「MRSA=院内感染」と思われているようだ。抗生物質がよく使われるため、温床になっているのは事実だが、外でもらったかもしれないので御留意を。病院だって大変なのだから。
ちなみにVREとはバンコマイシン耐性腸球菌。細胞壁自体を破壊する究極の抗生物質に対し、細胞壁の認識部位(糖鎖)を改造することで克服した、最強の耐性菌である。これの登場により、抗生物質の投与そのものが見直され始めている。
G.W.に帰省した際、父と母に初任給で贈り物をしたのだが、一留で済んでいれば、祖父に就職した私の姿を見せることができたろうし、卒業証書も見せることができたろう、贈り物もできたろう。そう思うと、自分の怠惰さが憎くなる。
二留もしての就職であった。
死んだ人は帰ってこないのだ。
内定したということは伝えてあったが…就職というものについていろいろ話すこともあったけれど、やはり後悔が消えるわけではない。祖父が就職した年は、大恐慌の最中で、大変だったという話だった。働き始めてからの話とか、他にもいっぱい聞きたかった。もっと話しておきたかった。
人間という生き物は、後悔するようにできているのだろうか。実感するためには失敗も必要だが、やりきれないものだ。他人の死は、永久に克服できないのかもしれない。成仏できたろうか、もっと話したかった、もっと遊びたかった…悔やむ。最終的には避けられないと、言葉では理解していても。
どれだけの死を見れば、心安らかに故人をおくることができるのだろう。我々遺族の悲しみを見て、故人は自分の生を振り返るのだろうか。だが、悲しみ続けることを望んではいまいのに。
1999/5/5
「堕落」
1999/4/29
「光陰矢のごとし」
Time flies like an arrow.
時間蝿は矢が好きだ…(爆)。
もう4月末。早いものですが。そろそろ、もう一度名古屋の印象なんかを。
狭い。日本第三の都市だが、やはり東京人から見ると、狭い。電車で30分も行けばド田舎というのは…。まあ不動産を探すにはいいかもしれない。賃貸にしても、いずれ買うとしても。
名鉄があてにならない。我がローカル線、小田急多摩線を凌ぐ運行の少なさ。できれば地下鉄沿線で暮らしたいものよ。次点がJRか。近鉄はまだ乗ったことがないので不明。!、でも、小田急本線の各停駅も不便だと後日聞いた。名鉄と変わらないらしい。やはり急行などが目の前を過ぎていき、各停は少ないのだそうだ。
大須電気街が小さい。秋葉原の1/10という予備知識は真実に近い。年に数度は帰省して秋葉原に行かねばなるまいなあ。
スーパーがない! スーパーといっても、ダイエー、イトーヨーカ堂級の大型店舗である。ダイエーが栄と金山にあるけれど、物足りない。東急ハンズANNEXに行けばよいのだけれど、高いからなあ…。ダイクマや三和のようなディスカウント、或いは意外なことにまだ見ていない総合DIY店。とりあえずクルマを持ち込んでから考えるか。
…贅沢とは恐ろしい。地方から出てきたのであれば、これでも便利だと思うところなのだろうけれど。名古屋の街は、PM8:00〜8:30ぐらいに閉まりるけれど、地方ではまだPM8:00は珍しいはずで…。
慣れよう、それしかない。
1999/4/23
「初任給」
初月給が入りました。予想より多かったです。でも、厚生年金も引かれていないし(翌月支払いなので、来月から引かれる)、研修期間の3月中分(三日間)が加えられているからなのでした。本当の社会人の手取りは、恐らく6月分あたりを見ないとわからないのではないかと思います。
あ、ちなみに自動積み立てを月末引き落としで設定してあります。今のところ2万円。できるだけ節約して、定期の方に少しずつ、もうちょっと入れていこうかな。5年目ぐらいで小さなマンションを買う頭金ぐらいは作りたいから。
しかし重大な問題が発生。通帳記入ができない。月〜金の9:00〜18:00だけでは、絶対に通帳に書き込めないではないか〜! これでは実感できないじゃないか。しかし…共働きだと、この種の手続きは全然できないだろうなあ。妻に専業主婦として、代わりにやってもらわなければならない局面だ…。いや、パートなら、午前中だけ休むということもできるのか。男女同権とはいえ、この辺が解決しないことには、専業主婦の連れ添いというのは不可欠。ネットの時代だというのに…ブツブツ。
1999/4/22
「虚無」
「虚無」という言葉からは、「ネバーエンディングストーリー」を連想しますねえ。他にも、ムアコック作品でよく出てくるリンボ(忘却)とか。
私が「エヴァンゲリオン」に大変な共感を抱いて見入っていた頃の走り書きが、HDDの中にありました。それはいかにもエヴァという感じの、呟きに近い短文の連なり。消滅への恐怖を書きなぐったものでした。私は当時、既に死はある程度理解していたはずですが、身の周りのものの消失をひどく恐れているようでした。
昔話や人知れぬ物語、誰ともその話で盛り上がることができないマイナーな作品、グループ、人。私は今でもそうしたものに、心の…渇きや飢えに近い、激しい焦燥感を覚えます。消えないでほしいという切望、消えてしまうことへのやりきれなさ。それで私は、自分が好きでしかも未来永劫好きであろうものを集めていたりします。ロックグループ「De+Lax」のCDとか、アニメ「魔神英雄伝ワタル」シリーズのLD・CDとか…。PC-FXの全ソフト収集などという暴挙に出たこともあったな(笑)。
ある意味では保守的ということかもしれません。新しいものに興味がないわけではないのですが、その新しいものの台頭によって、古いものが姿を消すのを受け入れられないのです。受け継がれなければならないと考える。それが、コレクターのような行動に走らせているのでしょう。
1999/4/17
「98への愛」
やっぱり98は良い。しかしその理由は、最近パソコンを始めた人には理解不能であろうが。
カナキーがある
スペースバーが長い
DOS画面を緑色にできる
マルチブート標準対応
強力なformatコマンド
管理容易なCバススロット
SCSIのMO/PD起動
DOS5以上は素でMO対応
互換CPUへの高い親和性
FDDが速い
…と、列挙していたらかなり増えてしまいました。カナ入力派としては、IMEと無関係にカナロックがあるのは、特に半角片仮名しかなかった頃からのユーザーとしては、非常に重要なことです。スペースバーの長さも良いですね。プログラミングでは頻繁にスペースを入れるのですが、どこからでも確実に押せるだけの長さはとても重宝します。DOS/Vの106キーボード、変換と無変換を小さくしていいから、もっとスペースバーを長くしてくれぃ。DOS画面(DOS窓も)を緑色にする…恐らく98ユーザーとしても少数派でしょうが、MZ-2000ユーザーとしては捨てがたい(笑)。
マルチブートはよく言われます。HDDをフォーマットするだけでブートセレクタが入るので、何もせずにもマルチブート対応。DOS/Win3.1/Win95、WinNT、FreeBSD(98)、Linux/98、といったことも可能だっ! OS/2はDOS/V版同様、WinNTといがみ合っているようですけど…。フルスクリーン対応formatコマンドは、これ一つでフォーマットからパーティション管理まで全てできます。おかげでWin95のdiskinitやfdiskは全然使っていません(^^;
Cバススロットの系統は、日本独自の文化ですね。日本のデスクトップの拡張スロットは、大半がライザーを標準装備することで、水平に挿すようにできており、筐体を開けることなく抜き挿しできます。これは素晴らしいことです。Macintoshでさえ実現できていないのに!
そしてDOS5以上はDOS単体で、デバイスドライバ無しでMOに対応し、PDもフォーマット以外は全てのアクセスができます。恐らく540MB MOにも対応しているでしょう。Win95等の力を借りればPDのフォーマットはできるので、バルク品が簡単に使えます。さらにはMO/PDからの起動もできます。
下駄必須のものもありますが、全体で見ると現時点でmP6以外の全てのSocket7互換CPUが動作しています。特に430HX/430VX搭載の機体は、DOS/Vと充分にタメを張れる性能を持っています。
最後にFDD。回転数が違い、物理的に速いのだと記憶していますが、私はPDユーザーなのでFDはあまり使いませんが、そのたまにでも、やはりありがたいです。友人との1MBぐらいのファイル受け渡しとか、ね。
いいシリーズだったのに…。配属が決まれば小型のデスクトップが貸与されるのですが、たぶん98を持ち込むと思います(^^;; 98シリーズへの愛は、終生尽きることはないでしょう。
1999/4/16
「88年」
研修中です。現在、流通子会社におります。次に協力工場に行くことになっています。もの作りには、消費者のことを考えるのも大事だが、生産する側、流通する側の姿も知っておく必要がある、という方針だと思われます。設計したものが、生産されて、輸送されて、販売されて、消費者の手元に届けられるわけですね。
いわゆる倉庫なのですが、体育会系です(笑)。私が中高と所属した陸上部はアットホームな雰囲気でしたから、ホンマモンの体育会系のノリには初めて接します。うう…、一昨日、怒られちゃったよう。そうですよ、呆けている間にも人件費は支払われているのです。私が悪いのは疑いのない事実。ひたすら反省。
さて、倉庫ですから、入ってくるし、出ても行くわけです。今どきですから海外からもやって来る。そして、台湾からの箱には皆、「88年」と書いてありました。どうやら今年のことのようなのですが、何の暦だろう? …と思ってBBSで聞いてみたところ、元年が1912年なら、中華民国建国の年ではないかということでした。やはり建国というのは重要なものなのですねえ。日本も皇紀が復活すればいいのに(ちょっとだけ本気)。
「朝、心の痛み」
夜、何度か目覚めたのを覚えています。その短い眠りの恐らく全てで夢を見ていたようです。昨日まではなかったはずの奇異な記憶がかすかに残っています。最後に見たのは、気分の悪い夢でした。
あり得たかもしれない未来または現在。荒廃した我が家。父は母をやっかんだ。私は母を口汚く罵った。誤解されたので真意を伝えるためだったとはいえ、それは確実にお互いが傷つく言葉。誤解が解けた瞬間で夢は終わった。
とても嫌な気分で目が覚めました。思い出すだけで胸が痛みます。続きなど考えたくもありません。そんなおぞましい光景を紡ぎ出した自分の脳に恐怖しました。絶対に実現しないでもらいたいものです。どこの家庭であれ…。
1999/4/15
「単調」
うーむ、社会人の生活というものはかくも単調なものなのか…。
つくづく父は偉大だと感じます(家庭によっては母…「も」又は「は」でしょうが)。私の父はそろそろ定年も間近。こんな世界で生き続けて、しかも随分と趣味の方にも取り組んでいたと思いましたが。私も慣れたらそうなれるのでしょうか? ちょっと自信がなくなってきましたけど、五月病にはまだ早い。せめて失業保険が支給されるぐらいまでは耐えないと(爆)。
研修を終えて、配属されて、仕事を身に付けて、その中で自分のペースを作る…5年は先のことでしょうか。その時は三十路に近いですねえ。連れ添いが見つかっていればいいけれど。
しかし、特に銀行関連が大問題。窓口扱いの手続きが全然できないぞー。聞けば半日有休を使うことになるだろうということでしたが、使っていない口座のキャッシュカードなんぞ急がんからなあ…。ちなみに給与振込口座は、入社式前日に来られていた取引銀行の方に掛け合って、作ってもらいました。ちゃんとキャッシュカードもあるので、休日でも大丈夫(^^)。入社式前日というのは、新入社員相手に契約を取り付けようと、金融関係の取引会社が乗り込んでくるものらしいです。他に保険会社の方も見えていました。
1999/4/14
「無常」
少し前のことを書いてみましょう。
3/26に卒業式がありました。その翌3/27に名古屋入りしたわけですが、我らが天文研究部の部室の入った建物(「旧有機棟」)が3/25に取り壊されました。3/25早朝に入り込んで少々写真を撮りましたが、卒業式直後にも工事は始まっていたものの形はまだ残っており、無断で入ってもう少し撮りました。私は天文研17代。22代あたりまでを迎えたのだと思いますから、その20年以上の間、部員が過ごした膨大な時が、ちょっとした壁の傷が、営みが、心が、落書きが、ホコリが、床の凹みが、消えていきました。全てが消えてしまう…。返し忘れた部室の鍵は、思い出の品となってしまいました。そして撤退作業中に皆が書いた、あるいは描いた落書きは、ほんの数日、ほとんど誰にも見られることなくひっそりと壁を乱雑に彩り、やはり消えていきました。早朝に訪れたとき、私も描いたのですが、他の部員は見たのかな?
部室は間違いなくある種の家、帰る場所の一つでした。それがなくなるというのは、こんなにも切ないものなのですね。一人暮らしをしている間に家から自分の部屋がなくなってしまった話、火事で家を失った話、引っ越しの話。身の周りで聞いただけでも少なくない、これらの出来事の全てに、そんな切ない思いが伴っているのでしょう。所詮は経験していく別れの一つにすぎないとはいえ、やはり家からの別れはつらいものですね。
そして私はまだ壊された跡を見ていません。今度帰省したら見てみよう…でも少し怖いかもしれない。残骸を見るべきかどうか。新しく建ったものを見るだけにすべきなのかもしれないという、恐怖があるのです。でも、もうあまり行かないだろうからな…拝んでおくとしようか。
そういえば、入学したての頃の、英語のクラスでの集まり(ホームルームが存在しないので、確実に全員が受ける英語のクラスで最初の活動を行なった)や、第二外国語などでさんざんお世話になった西3A棟も既に壊されています。横の階段も一緒に。こっちは元が大きかったので、基礎は流用して新築されるでしょう。旧有機棟跡には何が建つのかな。隣の音楽棟も壊されていたので、ある程度の規模にはなるのでしょうが。
新しい部室は見たけれど、まだ入っていない。夏合宿に出られれば、その時にお邪魔するとしようか。
1999/4/6
「相転移」
無事就職できまして、現在名古屋におります。なんだかバタバタしてしまって、久々の更新です。
物心がついてからは初めての引っ越しになります。そして、生まれて初めて東京圏を出た場所で生活をすることになりました。当然、今は研修中でして正式配属はまだですけが、恐らく名古屋圏になるでしょう。
名古屋の印象…ミソカツ(爆)。あとは鶏ですか。私は鶏が好きなので食生活は向いているのかもしれませんが、まだ毎日の生活は思うようにはいきません。なにぶん、まだ店の場所を把握していないものですから。引っ越すというのは大変な作業なのですね。地元でさえ、たまに違う道を歩けば新しい発見があるというのに、全く知らない地へ放り込まれる。全てがゼロからの再出発です。上記のとおり、私は現在の実家で生まれたようなものです(生家の記憶はほとんどありません)。考えて行動するようになった頃には、ある程度は地理情報が頭に入っていました。しかし、今回は予備知識もあるわけがなく、全てが手探りです。内定後に何度か名古屋に行ったことがあるのが、せめてもの救いでしょうか。
東京という場所が恵まれすぎていたのでしょうが、店が少ない…。住宅街の中でもビデオレンタル店、ゲーム店、書店がPM11:00ぐらいまで開いているのを当たり前だと思っていましたが。もっとも、まだ車までは持ち込んでいないので、行動半径が完全に電車依存ですから、郊外型に多いそうした店を利用できていないだけかもしれません。現実に、例えばブックオフは電車からだけで2店舗は確認できたからな…。金山駅前にPM11:00まで開いているCD・ビデオ・ゲーム店というのもあったか。当分は夜はさっさと寝ないとやっていけないので、心配することはないのですが、ともかく帰りに寄れる本屋が欲しいっ! 楽しみの一つだったんだがなあ。
そして、社会人になったということを、少しずつ実感してきました。学校制度6・3・3・4の16年間、私は2留したので18年間になりますか。幼稚園にも2年間通いましたね。20年間も教育される側にいたわけですが(大学だって学部生の間は、自分から勉強するといっても院生とはレベルが違う)、今度ばかりは完全に自分の責任が重大な世界。遅刻してでも朝食を取るようなコトはしていられません(滅)。
「時間厳守」…。私の父は家じゅう時計だらけにするような、時間にうるさい人ですが、なんとなくそれを理解できる気がしてきました。そしてこれから30年間、人生の本番の時代をその世界で生きるのです。大人への門出。寂しい気もしますが、この国で全うに生きる以上、避けては通れない道です。こうして人は自立して、子どもとは違う世界で生きていくのですね。
そういえば、たとえ完成度が低かろうと、一応はまとめて期限内に形にしろ、と最近は教えられてきました。目標が高かろうと、期限内にできなければそれはゼロだと。また実社会では59点でも落第にはならない、とも。親は大先輩ですからね、今後に活かすとしましょう。