雑記-不定期な独り言-
1998/10/30
「Windowsの時代」
WindowsNT5.0の名前が変更になり、Windows2000となるそうです。そしてこれは、以前から噂されていた、Windows95系とWindowsNT系の統合が図られることを意味するようです。Windows98の販売が継続されるようなことも言っていましたが、この言い方は、Windows95登場時のWindows3.1の扱いそっくりなので、バージョンアップはないかもしれません。
…痩せても枯れてもNTはNTです。これにより…あれ? 悪いところしか思い浮かばないぞ(爆)。だって…NT4.0にはSafeモードもなければコマンドプロンプトのみで起動なんていうものもなかったし、一度起動に失敗するようになると、どうしようもないOSであるという印象しかないのですが。NTFSではなくFATでインストールして、system.iniをバックアップしておけば、MS-DOSから修正ができますが、他のOSの力を借りなければ復旧できないなんて、馬鹿馬鹿しいにも程があります。それに互換性の問題も。Windows95からWindows98へのマイナーバージョンアップ程度で、動かないソフトやハードが出てしまっている。その上NT系になんかなったら、どうなることやら。本当はもっと互換性を上げられたんじゃないだろうか。もう少し時間をかければ。98ユーザーとして、SoundBlasterAWE32が動かなくなったことは、末代まで祟るに値することです(謎)。
まあ、現在私のRvIIはデュアルCPUにしてあるので、その力を発揮できるようになれば、少しは嬉しいのですが、Windows95の良いところもあるので、そういう部分もくみ取って、良いOSになってもらいたいものです。NT系は95系より確実に遅れていますから、それを取り戻すつもりではいるでしょうが。
むわったく、マイクロソフトの寡占状態だから、悪いOSであろうとも一蓮托生ですからね。選択肢がないせいで、ユーザーは苦労します。
P.S.
私は古くさいパソコンが好きなので、少なくとも[カナ]キーが使えないと不許可だったりします。この時点でUNIX失格なのよね…(T_T)。日本語環境も作ってありますが、ろくに使ったことがない。キーボードだって9801RA用が最高だと思っているし、あああ…時代に取り残されるうぅぅ。
1998/10/27
「少女マンガの革命」
「美少女戦士セーラームーン」という、アニメ化された少女マンガがありますね。あの、中学生以下の女子と、高校生以上の男子に人気があった謎の作品です(笑)。あれは革命的なものでした。それまでの固定観念であった、「男の子らしさ」「女の子らしさ」を少なからず打ち砕いたと思われます。なぜなら、男の子文化で言うところの、「秘密戦隊ゴレンジャー」に始まるまさしく戦隊ものだからです。
過去に女性のヒーローもの(女性にヒーローって言うのも変だが)がなかったわけではありませんが、後番組にもなった「キューティーハニー」にしろ、女の子の爆発的支持を得たものはなかったはずです。少女マンガらしく、恋愛にまつわる話もちゃんと入っていますが、まあそれは少女マンガのほぼ普遍的な要素の一つですから、男の子文化が導入された衝撃に比べれば、小さなものです。
そしてそれが、ある程度「女の子らしさ」を植えつけられているはずの世代にも支持された。既に教育されているにも関わらず、男の子文化が混ざった作品に人気が出た。画期的そして不思議です。単に彼女たちが「女の子らしく」ないのか、それとも「女の子らしい」女の子も、(恐らく過去からも)それ自体に閉塞感があったのか。前者ということはないでしょう。主人公、「月野うさぎ」の髪型(おだんご)が、幼稚園で大流行したと言いますから。
社会的性別(ジェンダー)についてまで考えさせられる事件だったと私は思っているのです。
1998/10/26
「電脳は気難し」
IPLが吹っ飛んだので、HDDのフォーマットをしました。Win95もRvII購入以来、初めての再インストール。Win98? 知りませんね、そんなOSは(爆)。まあ、サービスパック1が出たら考えましょう(笑)。
…あれ? WordPro97が動くぞ。以前はWordPro96でさえ動作に問題があったのに。変なものを入れた覚えはなかったのに。だから機種としての相性で、WordProは変なのだと思っていたのですが。それが…。
InternetExplorer3.02も入れました。まだ大丈夫です。今回のインストールは成功だったということか。それとも、シングルプロセッサで起動する際、ステップ3の標準CPUから、ステップ4の増設側CPUになったからだろうか。
最近の複雑なOSは気難しいですね。WinNT4.0もSMPではディスプレイドライバが固まるし。かつて士朗正宗先生は、何かのマンガの枠外書き込みでおっしゃった。「コンピュータも寄り集まると、生物のような挙動を示すようになるらしい」と。あくまで噂話程度の感じで述べられたようですが、現在のOS、特にWindows系はプログラムの集合ですから、似たようなものかもしれません。
1998/10/6
「それでも地球は動くか」
以前、フジテレビの深夜番組「アインシュタインTV」でも取り上げていた話題なのですが、不確定性原理について。
観測しようとすると、それによって対象が影響を受けるので、ありのままの状態を知ることはできない、というのが不確定性原理を言葉で表したものです。力学の数式上では、位置と速度を同時に知ることはできない、として定義されます。「シュレディンガーの猫」に代表される命題ですね。
つまり、「自分が故障したのにチームは首位のままだった…。自分はいなくてもチームは…。」という理屈を否定できるのです。なぜなら、貴方が離脱中のチームが首位であると決定付けたのは、貴方が観測したという行動によってだからです。「俺なんかいなくたって、世の中は動くのさ。」と言うようなこともないわけです。その動いている社会は、あなたが見たことで決定された状態なのだから。
もう少し広げると、何者かの存在や行動が他者の状態を決定付ける、と言えないこともありません。自分がいなければ別の軸で回転するかもしれないという意味では、文字どおり、自分を中心に地球が回ると言うことも可能です。ひょっとすると、地球が動くことになったのは、ガリレオのせいかもしれません。かのリンゴが落ちたのは、ニュートンが見たから?
騙されたような気分ですねえ。騙しているかもしれないです(笑)。ピ〜な宗教の教祖にあと一歩かもしれません(爆)。何かの理論を拡大解釈して、妄想に浸るというのは、実におもしろい思考作業です…。
P.S.
「アインシュタインTV」…ビデオとかで入手できないかな…。「征服王」もおもしろかった。あの頃は良かったなあ(T_T)。
1998/10/2
「嘘」
私はテレビドラマを見ることができません。演技が下手なのが多いからでしょうが、直感的に嘘だと感じる台詞が多いからです。嘘というのは、心から発している言葉ではないということ。舞台や劇、歌舞伎などは大丈夫なんですが。声優が出張っている、ふき替え版映画やアニメも大丈夫。やはり俳優の問題なのかな。
あと、台詞回しの不自然さ。やたらと長い台詞を叫んでみたり。そんなことしないって。「〜みたいな大事なこと、どうして今まで黙っていたんですか!?」…ってのを、ドラマのCMで見た覚えがあります。「〜」の部分は忘れました。驚いて叫ぶならせめて、「どうして黙っていたんですか!?」ぐらいでしょう。脚本家が会話というものに通じていないような気がする。
そうそう、時代劇もほぼ大丈夫だなあ。現実のコピーを見るのがいやなのかもしれない。
1998/9/29
「前途洋々…か?」
…ってわけではないですが。卒論があるし。でもねでもね、卒業推奨単位(いわゆる○印)が足りそうなんです。後期に一つ取れば、無事に卒業できる計算になりました。もっとも、留年しているうちに講義構成が変わってしまいまして、読み替えをしても○印単位が半減しているので、もうその後期の一つしか申告できないんですけどね。正確には前期にもう一つ申告できたのだが、調査不足からみすみす逃してしまった。まあ、取り返せるうちは過去を後悔する必要はない。
はあ、よかった。
1998/9/26
「解決した悩み、解決しない悩み」
ヴィヴィオの失火は完全になくなりました。プラグを再交換してHKSのSUPER FIRE RACING S35i(熱価7)にしたのです。アクセルを安心して踏み込めるこの安心よ(でもほどほどにね)。さて、スピードリミッター解除法はなんとかなるとして、次なる問題は、タイヤに勝ちすぎているサスペンション。スライドする感じはいいんだけど、乗り心地が悪い。ビストロ用ローダウンスプリングに交換しようかなと画策中です。
学業の問題。試験は何とかなったような雰囲気ですが…もう一本だけレポートがあるけど。後は卒論か。
そうそう、9821RvIIでFreeBSD環境でデータが化けるのはまだ解決していません。どうしたものか。IDEにHDDを接続すれば何とかなるかもしれないなあ、なんて甘い試みを実行する予定です。
1998/9/24
「LDの修理」
MDP-605が修理に出されていきました。「スレイヤーズTRY」を見終わるのとほぼ同時に、ピックアップが力尽きたようです。温度が上がるまでは白黒、にじみ、横ずれ、温度が充分に上がってもにじみは消えず。まあ、中古で買ったし、仕方ないやね。
しかし「スレイヤーズTRY」はなかなか良い作品であったなあ。最近、世界浄化に関する作品が多いような気はするけど、神魔二元論に一瞬たりとも疑問を投げかけたこの作品の価値はかなり高いと思います。そんなものはSFファンタジー小説で何度も取り上げられていますが(特にムアコック作品)、アニメでは他に知りません。
この作品では、人間は神から生み出されたことにはなっていないので、浄化に対して人間が中心になって対抗するという構図になっていますが、これも珍しいなあ。神と悪魔が戦っている間に、生み落とされてしまった、という感じでしょうか。小説の方にまでは手を広げていないので、正確なところはわかりませんが。いやしかし、無神論者の巣窟たる日本ならではの作品なのかもしれませんねえ。
1998/9/16
「一線を越える」
メインマシンである9821RvIIのクロックアップをしました。外部クロックを66MHzから約75MHzへ(原発乗っ取り16MHz)。設定は4倍のまま、約300MHz駆動となりました。外部75MHzが無理な場合、原発15MHzによる外部70MHz、次は14.7MHzによる外部68MHzということで、あまり上がりませんから、66MHzに戻すつもりでいました。過去にPLLの足上げによる75MHzは失敗していたので、こんなにあっさり成功してしまって拍子抜けです。FreeBSDの方も、XF86ConfigでXF98_GA968のオプションに"mmio_928"を付けたら正常に表示するようになりました。
ちなみに4.5倍はダメでした。ディスプレイへの信号が正常でなくなるか、メモリカウント中に止まってしまいました。266MHzのCPUを約335MHzで駆動しようというのですから、無理でも当然でしょう。
まあ、めでたいんですが、実はPLLの足上げの際、ピンを折ってしまってCPUボード交換を受けているのです。9821Xa9では足を上げてさらに元に戻すところまで成功していましたから、非常にショックでした。そのせいで、部品を買ってから実際の今回のクロックアップを行なうまで、数ヶ月も開いてしまったのです。
しかし…「喉元過ぎれば〜」と言おうか、成功した瞬間から、PentiumII-300に交換すれば4.5倍も大丈夫だろうか、とか、VRMの電圧設定が正常に制御できているのなら、あるいはCeleron-300は!? とか、良からぬことを次々に考えてしまいました。先立つものはあるのかよ、まったく。
実際のところ、4倍と4.5倍なんか、実用上の違いはないでしょうから、たぶんよほどお金に余裕ができなければ、実験しないと思います。そもそもSMPの方が先だし(^^;
1998/9/15
「科学の業」
時々思います。人間の現代文明は、悪魔の力を借りてでも、走り続けなければならないものなのではないかと。
文明を捨てて自然に還れば、地球は星の寿命まで生き続けるでしょう。太陽膨張などによって光熱的環境が変わるまで、水の惑星であり続けるでしょう。しかし、人間に文明を捨てることができるのか。恐らく、無理でしょうね。脳が発達しすぎた我々は、楽な道を選ぶようにできているのです。楽をするために切り拓いてきた道が文明なのですから。我々人間の営みが、現在ほどの規模では確実に地球にダメージをあたえているのは周知の事実です。それができるだけ少なくなるように努力すべきなのには異論ありませんが、地球を破壊していくこの力と共に、我々は生きていかなければならないでしょう。
食料不足、資源の枯渇、それでも現代文明を捨てないでしょう。現時点では未完成ですが、核燃料リサイクルによって、理論上は永遠に電力だけは確保できますから。しかし文明が持つ全ての選択肢が絶たれたとき、自然は還る道を開けていてくれるでしょうか。それ以前に、その時まだ自然は残っているでしょうか。
世紀末的発想ですが、それがわかっていたとしても、現代文明にしがみついて生きていくでしょう。そんな気がするのです。
1998/9/14
「宇宙人は植物学者」
映画の話をしたからついでだ!! 「E・T」について。私があの映画の中で最も評価しているのは、E・Tが植物学者だという点です。つまり、極めて地球の人間とも違和感のない、当たり前で普通の、特に政治や軍から全く離れた存在。地球外生命体というと、基本的には軍人しか思い浮かべられない人も多いと思うのです。そこにこの、植物学者という、人畜無害でしかも地球にもある職業をしている。ストーリーも良かったですがそれ以上に、この設定こそ、この映画で最も特筆されるべきことではないでしょうか。宇宙人が全て侵略者というのは時代遅れというより、原始的でしかありません。そういうのもいるかもしれませんから、インベーダーものの映画を完全否定するわけではありませんが、全て侵略者だと思うのは、未知なるものに対する恐怖が作り上げた虚像に過ぎないはずです。幽霊と同じですね。それを大々的に打ち破り、それどころか、その植物学者を追い回すのが人間なんですね。宇宙人が出ていながら悪者が人間であるという、非常に革命的な映画だったと思います。
ひるがえって、またマンガの話に入ります。「幽☆遊☆白書」という、少し前に大ヒットを飛ばした作品がありますが、これにも似たような特徴があります。第一話の最初で死んでしまった主人公が、閻魔大王(の息子のコエンマ)の前に行く際、通りすぎる霊界のオフィス。そこでは日本の役所や金融機関と同じように、鬼達が書類を抱えて走り回り、電話をかけながら、大忙しで仕事をしている。この発想は実に素晴らしい。後には霊界での汚職、権力闘争まで描いていまして、どこも似たようなものなんだというメッセージが伝わってくるようです。さらに深読みして、人間が想像するものはどれも同じだ、あるいはそれに加えて、日本人が想像する世界は日本そのものになるはずだ、というところでしょうか。
1998/9/13
「天使が? 人に? 恋を??」
映画の話なんかをしてみます。「シティ・オブ・エンジェル」という上記のような映画ですが、通常は誰にも見ることができない天使を見ることができた女性と、その天使との恋物語だそうですがー、日本のマンガではこんなのはありふれている設定なんですよね。お人よしな天使と、落ちこぼれの悪魔と、彼女たちを見ることができる、死ぬはずだった少女の話がどこかにあったような。天使が男性というのは、日本人にはなかなか思い付かないことだと思いますが、天使の方が人に恋をするというのがなんだか、人間のエゴを感じてしまうんです。「ああっ女神様っ」の読者が入れるべき突っ込みではないかもしれませんが、アメリカのキリスト教の求心力もここまで失墜したかという感じが。もちろん、ここで論じているのは設定の話であって、物語自体には触れていません。見るかどうかもわからないしね。
日本のマンガファンにはありふれているというものには他に「MEN IN BLACK」だったっけ? 地球上には異星人がたくさん既に住んでいて、そのごたごたを処理するのが主人公たちで…という映画。これも「レベルE」の読者には驚くには値しないどころか、アクの強さでは「レベルE」の方がはるかに上を行っている。あっちは単純な娯楽作品だったようですから、ストーリーを比較するのは間違っていますが。
日常的にマンガに触れているせいか、どうも映画に新鮮味を感じない。それだけマンガのパワーが強いということですが、ハリウッドも腑甲斐ないというか。CG万能主義のおかげで、不自然な映像が幅を利かせていたり。奮起を期待したいものです。この調子で新スターウォーズシリーズが困ったことにならなければいいんですが。
1998/9/12
「遡る」
自分の中に、祖先から、全ての始まりから、一時も絶えることなく続いているものがある、と気付いたことはありますか?
それは生化学反応です。どこの臓器、ということではなく、全ての細胞の中のあらゆる化学反応です。細胞はやがては老いて死んでゆきます。しかし、細胞分裂によって、その細胞の姉妹が残る。そして、その姉妹の中にある反応の始まりは、元の細胞の中にあります。分裂して生まれたということは、一部をもらい受けて生まれたということであり、営みの全ては受け継がれ、止まることなくその姉妹の中で続いていくことになります。細胞は湧いてくるのではなく、ある時点である細胞が二つに分かれて生まれるのですから。
次に多細胞生物の個体レベルで考えましょう。多細胞生物が死ぬと、体を構成する数十兆(ヒトの大人の場合)の細胞も全て死んでしまいます。しかし、生殖細胞を経て、受精を経て、親から子へとやはり反応はつながっていくのです。そうして、我々の体内にある細胞の中身も、起こっている反応も、連綿と受け継がれてきました。それを遡っていくと、原始地球で偶然生まれたアミノ酸の泡、細胞というものが、生命が生まれたその瞬間にまで行けるはずです。
天文学のものさしでも決して短くはない40億年の昔から、我々の中に続いてきたものがある。これに気付いたのは何年前だったか、気が遠くなるような感じがしました。生命というものは、その個体が生きているということだけではなく、生まれたというだけで、とてつもなく重大なものなのです。
1998/9/11
「胎内回帰」
小さい頃には誰しも、成長してからでは理解不能な癖があったと思います。鉛筆を持って鏡台から飛び降りるとか(これは私ではなかった…はず)、出かけるときに大きく重い図鑑を抱えていくとか(植物図鑑がお気に入りだったらしい)。
私の癖の中で最も奇妙だったものに、ふとんに入ると足下に方に潜っていってしまうというのがありました。しかも寝入ってからです。物心がついてしばらくするまで続いていたので、少し記憶があります。1歳かそこらの頃は、窒息するのではないかと、母が何度も引っ張り上げたそうですが、やっぱり潜ってしまったそうな。私は今こうして生きているので、結果的には窒息することはなかったようですが…。
この行動を説明しようとするならば、胎内回帰願望という概念を導入するしかないでしょうなあ。生まれた場所に帰りたいと思うこと。胎内から外界に出たとき、膨大な自由と同時に、それに対する不安をも感じる。そこで、静かで、狭くて、温かい場所にいることで安心を手に入れる。これが胎内回帰です。
そして胎内は同時に海でもあります。生命が生まれた場所。自分がどこから来て、どこに行くのか。使い古されてもなお魅力を放つ言い回しですが、特にどこから来たのか。これは人間が自分を位置付けるため、自分をかなり絶対的に位置付けられる、非常に強力な情報です。そこに向かうこと。無意識が為したこととはいえ、興味深いものです。
1998/9/5
「徒然なる題名」
タイトルというものは、作品の中身と同じぐらい大事なものだと私は考えます。コンテストでも、タイトルを言及する評が書かれていることがありますから、特殊な考えではないでしょう。
しかし例えばカメラ雑誌を見ると、特にヌードにおいて「おんな」もしくは「女」というタイトルの写真が何と多いことか。「陽射しの中のおんな」とか。そんなことは一目でわかるんです。見た瞬間にわかるようなことをタイトルに付けても、全く意味などないでしょう。問題は、その写真を撮ることで、その作品を作ることで、何を表現したかったのか。
「私は〜を表現したかったのだが、見た人それぞれの心の中に何かが残ればそれでよい」とか「説明しないとわからないような人間には教える必要はない」とか「中身に関係するタイトルを付けると、見られ方が限定されてしまう」とか言うのでしょうけど、ならば無題でよいのでは? それどころか、あまりにも無味乾燥としたタイトルは、その作品をそれだけで終わらせてしまう危険性もあるでしょう。せめてヒントぐらいは与えても損はしないだろう、というのが私の持論なのです。
1998/9/4
「レッドゾーンへ!!」
ヴィヴィオのプラグを交換しました。SplitFireのTP392D(ISOで熱価5〜6相当、プラチナ)からSF392B(ISO7〜8相当)へ。高負荷時の吹けが悪いというか、失火していたので外して見てみたのですが、白く粉を吹いていたので熱価を上げたのです。改善しました。ごくたまにはまだ発生していますが、ほぼ完全になくなり、本来の力を出せるようになりました。
実はこの現象は、マフラー交換直後から起こっていました。ヴィヴィオのチューンはエアフィルター、プラグ、プラグコード、マフラー、燃調コントローラ、サスペンション、ブレーキ、タイヤという順番で進めてきたのですが、てっきり燃調が合っていないか、もしくはマフラーの癖だと思っていたのです(間違いは誰にでもあるものだ)。つまり、私はレガリスでの全開を経験していないというわけですな。
そして試験走行…。立ち上がりでちゃんと加速する、伸びもいい、ゼロ発進も対応できる。つまり踏み込み量を調整しないと、今まではこれらができなかったわけです。悩みの種の一つでした。外観からはマフラー交換しかわからないとはいうものの(最近では車種によってはメーカー/ディーラー設定にローダウンがあるから)、改造車が速く走れない。恥です。ライトチューンというのは実力を出させてやることなのに、走らない。交通量の多い交差点での割り込み右折とか、街乗りでも問題がありましたから…。それがようやく解決して、本当に嬉しいです。
しかし官能的な加速よの。マフラーを交換してからこの悩みのせいで、逆に峠には行かなくなってしまっていたけど、また行きたくなってきたぞ。しかし道○道は先日の大雨で土砂崩れがあったような…(涙)。
P.S.
ヴィヴィオのECVT車はレッドゾーンまで回りません。SOHCでは7500rpmからレッドなのですが、全開で低速時5000rpm、高速時でも6000rpmまでという設定になっているからです。DOHCですがSportsShift車は7000rpmあたりまで回るようですが…。もっとも、スピードリミッターを外した場合はわかりません。少なくともNポジションではレブリミットが効いていませんから。